豊田市美術館について

豊田市美術館は、愛知県豊田市にある公立美術館で、1995年に開館しました。比較的新しい美術館であったことから、収蔵作品は20世紀以降の近現代美術を中心としています。その中でも、グスタフ・クリムトの『オイゲニア・プリマフェージの肖像』は美術館の顔となっており、その装飾性・デザイン性は、洗練された建築デザインと調和しています。
2階の屋外には庭園や人工池が広がり、訪れる人々に静寂と開放感を提供します。また、庭園内には茶室があり、抹茶と和菓子(有料)を楽しむこともできます。美術鑑賞だけでなく、建築や自然の景観を堪能できる点も、この美術館の魅力のひとつです。

所蔵作品紹介
※コレクション展では作品の入れ替えが行われるため、紹介する作品が常に展示されているとは限りません。展示作品の詳細については美術館のHPをご確認ください。→豊田市美術館HP
グスタフ・クリムト
『オイゲニア・プリマフェージの肖像』(1913~1914年)

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グスタフ・クリムトは、19世紀末から20世紀初頭に活躍したオーストリアの画家であり、ウィーン分離派(アカデミズムからの分離を目指した革新的な芸術運動)の中心的人物でした。
クリムトの作品は、金箔を用いた装飾的な表現で知られ、その代表作である『接吻』(1907~1908)は、彼の「黄金様式」の頂点を示しています。しかし、『接吻』以降、クリムトは金箔の使用を控え、より自由で豊かな色彩を探求する作風へと移行しました。
本作『オイゲニア・プリマフェージの肖像』は、銀行家であり美術品収集家でもあったオットー・プリマフェージ(1868~1926)の妻、オイゲニアを描いた肖像画です。画面全体を覆う鮮やかな色彩と装飾的な構成が印象的で、まるで宝石が散りばめられたかのような華やかさを持っています。
色彩を重視した絵画というとフランス印象派が思い浮かびますが、印象派が「光の変化をとらえること」に重点を置いたのに対し、クリムトの色彩表現はより装飾的であり、現実を抽象化し、工芸作品のように再構築することを目的としていました。本作でも、背景と衣服が同じようなパターンで描かれ、人物と空間の境界が曖昧になっている点は、クリムトの装飾性を強調する特徴のひとつといえます。
ちなみに、本作を依頼したオットー・プリマフェージは、当時9歳の娘メーダ・プリマフェージの肖像画もクリムトに依頼しており、その作品は現在メトロポリタン美術館に収蔵されています。また、プリマフェージはクリムトの工房の経営を支援していましたが、それが経済的負担となり、自らの銀行経営が破綻する一因となってしまいました。

「メーダ・プリマヴェージの肖像」
エゴン・シーレ
『レオポルト・ツィハチェックの肖像』(1907年)

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エゴン・シーレ(Egon Schiele, 1890~1918)は、オーストリアの表現主義を代表する画家として知られています。
シーレは12歳のときに父親を亡くし、叔父であるレオポルト・ツィハチェックの庇護のもとで生活するようになりました。本作『レオポルト・ツィハチェックの肖像』は、シーレが17歳の頃に制作した作品で、彼の最初期の作品のひとつにあたります。後年の特徴的な画風はまだ見られませんが、スーツをまとった叔父の堂々とした姿を、細部まで丁寧に描き出しています。
本作では縦に長いカンヴァスが使用されており、これはクリムトの影響がうかがえる要素のひとつです。シーレはこの頃、すでにクリムトと出会っており、彼に大きく影響されていた時期でもありました。
エゴン・シーレ
『カール・グリュンヴァルトの肖像』(1917年)

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エゴン・シーレの人物画は、鋭い線描と歪んだ人体表現を特徴としますが、本作『カール・グリュンヴァルトの肖像』では、特に俯瞰的な視点と独特なポージングが印象的です。
一見すると、モデルの男性が宙に浮いているかのようにも見えますが、背景をよく観察すると、うっすらと椅子の輪郭が描かれていることが分かります。つまり、本作は椅子に座る人物を上方から俯瞰するように描いた作品なのです。
シーレはこの作品を制作するにあたり、さまざまな角度からデッサンを行い、最終的にこの視点を選びました。なぜ彼がこの構図を採用したのかは正確には分かりませんが、俯瞰によって生じる独特なシルエットや人体の歪み等に興味を引かれたのかもしれません。また、背景を真っ黒にすることで、人物の存在感をより強調し、異様な緊張感を生み出しています。
本作のモデルであるカール・グリュンヴァルト(1899~1964)は、オーストリアの織物商であり、美術品収集家でもありました。彼は1915年、シーレが徴兵された際の同僚であり、私生活でも親交を深め、共に旅行に出かけることもあったとされています。しかし、彼が収集したコレクションの多くは、後にナチスによって押収され、世界各地に散逸する運命をたどることとなりました。
岸田劉生
『自画像』(1913年)

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岸田劉生(1891~1929)は、「麗子像」シリーズで知られる日本の洋画家です。「麗子像」は東洋的なデフォルメが加えられた「卑近美」としてよく語られますが、それ以前の作品についてはあまり知られていません。
本作『自画像』は、娘の麗子が生まれる前年に描かれた作品です。当時の劉生は「岸田の首狩り」と称されるほど多くの肖像画を描いており、モデルがいない際には、本作のように自画像を手がけました。
劉生が人物画にこだわったのは、後年に提唱する「卑近美」や「内なる美」を、この時期から人物の造形の中に見出していたからかもしれません。初期の彼の人物画にはフランス印象派の影響が色濃く表れていましたが、本作が描かれた頃からは、より写実性を追求するようになりました。この姿勢は後の「卑近美」へとつながり、彼の独自の美学を確立する契機となったといえるでしょう。

前田寛治
『I子像』(1928年頃)

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前田寛治(1896~1930)は鳥取県出身の洋画家で、東京美術学校卒業後に渡欧し、ゴッホやセザンヌに傾倒すると同時に、ギュスターヴ・クールベやドミニク・アングルの研究も行いました。彼は写実性の本質を「質感」「量感」「実在感」に求め、帰国後もその追求を続けました。
本作『I子像』は、弟子の女性をモデルに描かれた作品です。簡潔な筆致ながらも、女性がこちらを見つめる力強い眼差しには、確かな存在感が宿っています。
本作を描いた約2年後、前田は鼻孔内腫瘍により33歳の若さで亡くなりました。彼は写実を追求した画家でありましたが、その画風にはフォーヴィズム的な要素も見受けられます。そこから、前田が西洋の前衛芸術に少なからず影響されていたことが認められる一方、彼が前衛的な要素を土台に古典絵画を研究していったことが見出せます。
大正末から昭和初期にかけて日本国内においても前衛的芸術が台頭していきましたが、その中で前田の姿勢は時代の流行を逆行するものだったといえます。しかしながら、彼の作品が放つ独特な存在感は、そんな時代の中でさえ写実主義を徹底したからこそ生まれたともいえるでしょう。
2階庭園部
美術館は丘陵部にあり、その傾斜を活かして2階の部分も地面に接するように建築されています。2階の屋外は庭園となっており、美術鑑賞の合間に散歩道を歩いたり、茶室を訪れたりすることができます。
豊田市美術館の基本情報
所在地:愛知県豊田市小坂本町8丁目5−1
アクセス | 名鉄豊田市駅より徒歩約10分。その他のアクセスについて→豊田市美術館HP |
料金 | 【常設展】一般:\300(250) 大学・高校生:\200(150) 中学生以下:無料 (括弧内は団体料金→20名以上から) その他の割引や年間パスポートなどの情報→豊田市美術館HP |
開館時間 | 10:00~17:30(最終入館は17:00まで) |
休館日 | 毎週月曜日(祝日はのぞく) 年末年始 その他、展示替え休館や臨時休館することあり |

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