母への思いが生んだ、アートと仏教のテーマパーク「耕三寺」 そのみどころ

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広島県尾道市、しまなみ海道に浮かぶ生口島(いくちじま)に、ちょっと異色でとっても魅力的なお寺があります。その名も「耕三寺(こうさんじ)」。昭和初期、実業家だった耕三寺耕三氏が、自分の母への深い感謝の気持ちから建立したお寺で、「母の寺」とも呼ばれています。

お寺といっても、ここはまるで仏教×アートのテーマパーク。きらびやかな建築や彫刻、さらにはモダンアートのような庭園まで、境内を歩くだけでまるで異世界に迷い込んだような気分に。

中でも注目なのが、真っ白な大理石で造られた「未来心の丘」、約350メートル続くちょっとスリリングな地下霊場「千仏洞地獄峡(せんぶつどうじごくきょう)」、そして美術館のような「金剛館」。アート好きにも仏像好きにも、観光気分の方にも楽しめる、不思議な魅力に満ちたお寺です。

「未来心の丘」

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目次

地下350メートルの旅「千仏洞地獄峡」

千佛洞地獄峡入り口

耕三寺を訪れたら、ぜひ体験してほしいのが「千仏洞地獄峡(せんぶつどう・じごくきょう)」です。境内の一角にある全長約350メートルの地下霊場で、地獄から極楽までをリアルに体感できる、ちょっとスリリングな空間です。

入り口から中に進むと、徐々に通路が下り坂に。ひんやりとした空気の中、突然あらわれるのは地獄をテーマにした人形や壁画。罪人が責め苦を受ける様子がリアルに再現されていて、思わず背筋がゾクッとします。

千佛洞地獄峡 編集
第七 大焦熱地獄
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しかし、その“地獄”を抜けると、目の前に広がるのはまばゆい“極楽浄土”の世界。ライトアップされた広い空間に、数えきれないほどの仏像たちが静かにたたずんでいます。その数、なんと千体とも言われ、まさに「千佛洞」の名にふさわしい荘厳さ。

暗闇の中で仏の光に照らされるこの霊場は、まるで現世と来世を旅しているかのような不思議な体験をさせてくれます。

千佛洞地獄峡内
千佛洞地獄峡内
千佛洞地獄峡内
千佛洞地獄峡内
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往生要集について

源信(942年~1017年)

「千仏洞地獄峡」は、ただの観光スポットではありません。実はこの地下霊場、平安時代の高僧・源信(げんしん)が著した『往生要集(おうじょうようしゅう)』という仏教書を、視覚的に体験できるように造られているんです。

『往生要集』は、地獄の恐ろしさと極楽の美しさを対比させながら、どうすれば極楽に往生できるのかを説いた名著。源信はその中で、「救いを得るには念仏を唱えることが大切だ」と説き、日本に「極楽と地獄」のイメージを広めるきっかけをつくりました。

この書が生まれた平安時代の後期は、戦乱や災害が続いて“末法思想”が広まった時代。人々は「この世の終わりが近い」と不安にかられ、救いを求めて仏教の教えにすがったのです。そんな時代背景もあって、『往生要集』のわかりやすい教えは庶民の間にも広まり、後の文学や思想にも大きな影響を与えました。

耕三寺の「千仏洞地獄峡」では、この源信の思想を地下トンネルという空間で体感できます。まさに“現代版・体験型『往生要集』”と呼びたくなるような、リアルで神秘的なな世界です。


白い大理石が広がる「未来心の丘」

耕三寺の境内にある「未来心の丘(みらいしんのおか)」は、まさに非日常を体感できるスポット。約5000平方メートルという広大な敷地に広がるのは、真っ白な大理石でつくられた幻想的な庭園です。

手がけたのは、イタリアを拠点に世界で活躍する彫刻家・杭谷一東(くえたに・いっとう)氏。使われている大理石はすべて、杭谷さんのアトリエがあるイタリア・カッラーラ産。ギリシャ神殿やミケランジェロの作品でも使われてきた、最高品質の素材です。

丘の中には、杭谷氏の感性が光るモニュメントがいくつも点在し、歩くたびに異世界に迷い込んだような感覚に。真っ白な石の間を歩いていると、まるで地中海のリゾート地にいるような気分になります。

耕三寺の中でも特に人気の高いこの場所は、美術館と自然の魅力が融合したアートガーデン。静けさと開放感、そして芸術の力に癒される、そんな特別なひとときを過ごせます。


耕三寺の豪華な顔「孝養門」と「本堂」

孝養門

耕三寺に足を踏み入れると、まず目を引くのが絢爛豪華な「孝養門(こうようもん)」。その名の通り、耕三寺を建立した耕三寺耕三が“母への孝養”を込めて建てたことから、この名前がつけられました。

外観はなんと、あの有名な日光東照宮の「陽明門」を模したもの。文部省(当時)から正式に図面を借りて、約10年かけて再現したという本気ぶりに驚かされます。その完成度の高さから、耕三寺は「西の日光」とも呼ばれているんです。


本堂

孝養門を抜けて境内を進んでいくと見えてくるのが「本堂」。こちらは、京都・宇治の名刹「平等院鳳凰堂」を模して造られています。まさに、極楽のような佇まい。

本堂の見どころは、建物の美しさだけじゃありません。西側には、第二次大戦後に造られた大きな「不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)」が鎮座していて、その迫力は圧巻。一方、東側には、なんと奈良・興福寺から移された「釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)」が安置されていて、こちらは平安時代の作・重要文化財という由緒正しさ。

建築の美しさと、仏像の歴史的価値。どちらも一度に味わえるのが耕三寺ならではの魅力です。

釈迦如来坐像
耕三寺 巨大観音像
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「金剛館」の名品たち

耕三寺の境内北側にある「金剛館」は、ちょっとした“美術館”のような存在。ここでは、耕三寺が所蔵する仏像や美術品の中から、選りすぐりの文化財が常設展示されています。2階では期間限定の企画展も開かれることがあるので、何度訪れても新たな発見があるのも嬉しいポイント。

では、そんな金剛館の見どころの中から、特に注目したい重要文化財を2点ご紹介します!

【重要文化財】
釈迦如来立像(10世紀)

本作は、三重の神宮寺伝来の釈迦如来立像(しゃかにょらいりつぞう)で、一本の木材から全身を彫り出した一本造(いっぽんづくり)の技法が用いられています。そのため、継ぎ目のない流麗な造形が特徴で、平安仏特有のふっくらとした顔立ちや、穏やかな体の起伏が柔和な印象を与えます。

右手は施無畏印(せむいいん)を結び、人々に安心を与える姿を示し、左手は与願印(よがんいん)をとり、願いの成就を約束しています。このように、釈迦如来立像の典型的な姿を備えながらも、その優雅な木肌の質感や、時を経て深みを増した色合いが、神秘的な厳かさを醸し出しています。さらに、背後の光背が柔らかな光を受けることで、仏像全体の存在感をいっそう引き立てています。

【重要文化財】
宝冠阿弥陀如来坐像(1201年)

本作『宝冠阿弥陀如来坐像』は、伊豆走湯山(現在の伊豆山)にあった常行堂(常行三昧を修するための堂)に伝わる像です。膝裏の銘文から快慶の作とされ、彼の初期の作風の変遷をたどるうえで貴重な作品といえます。

像は胡坐をかき、前方で禅定印(瞑想を象徴する印相)を結び、静かに沈思する姿が表現されています。また、阿弥陀如来でありながら宝冠を戴いている点も特徴的で、これは密教的な影響を受けた「宝冠阿弥陀」像の様式に基づくものです。

快慶の現存作の多くは西日本に伝わりますが、本作は伊豆に由来し、東日本に伝来する快慶作の数少ない例としても注目されます。


耕三寺の基本情報

所在地:広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2

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