国立西洋美術館は常設展こそ見るべし!世界の名画と松方コレクション

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上野公園をぶらぶら歩いていると、ちょっと不思議でモダンな建物が目に入ってきます。1階部分には壁がなくて、まるで建物が宙に浮いているみたい。そのユニークな外観こそ、日本にいながら西洋美術の名作たちに出会える場所──「国立西洋美術館」です。

この美術館、洗練された企画展も見ごたえばっちりですが、いちばんの魅力は常設展
ルーベンス、レンブラント、モネ、ルノワール…美術の教科書で見たあの名画たちが、当たり前のように展示されてるんです。初めて訪れた人は「えっ、こんなに名作が!?」とびっくりするかもしれません。

国立西洋美術館館内1
国立西洋美術館館内2
国立西洋美術館館内3
国立西洋美術館館内4
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展示の中心になっているのは「松方コレクション」。これは、実業家・松方幸次郎が20世紀初頭にヨーロッパで集めた作品群で、戦後フランスから日本に返還された貴重なものばかり。「日本にも、世界に誇れる美術館をつくりたい」という松方氏の情熱が、この美術館のはじまりなんです。

モネの《睡蓮》ロダンの《地獄の門》といった超有名作品も、ここなら気負わずふらっと鑑賞できるのがいいところ。展示内容も季節ごとに少しずつ入れ替わるので、何度行っても楽しめます。

上野に行くなら、国立西洋美術館もルートに入れてみてください。
アート初心者もリピーターも、ゆったりといい時間が過ごせますよ。



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目次

国立西洋美術館は、ある“コレクター”の夢から始まった

松方幸次郎(1866~1950年)

上野の国立西洋美術館。そのルーツをたどると、ひとりの熱い実業家に行き着きます。名前は松方幸次郎
彼が命がけで集めた「松方コレクション」が、美術館誕生の原点です。

松方氏は1910年代から1920年代にかけて、なんと浮世絵を約8,000点、西洋絵画などを約3,000点も集めました。その作品数、ケタ違いです。個人でここまで揃える人、今じゃまずいません。


ところが、悲劇が襲います。

1927年、金融恐慌が直撃。
当時社長を務めていた川崎造船所が経営難に陥り、やむなく多くの作品を手放すことになってしまいます。

そんな中で、奇跡的に残ったのがロンドンとパリに保管されていた約1,400点。
……でしたが、ここでも試練が。
1939年、ロンドンの倉庫(パンテクニカン倉庫)で火災が発生し、900点以上が焼失。さらに戦後、パリにあった残りの作品もフランス政府に接収されてしまうんです。

せっかく精魂注いで収集したコレクションのほとんどが散逸してしまったのです。
松方氏の落胆は、想像を絶するものだったでしょう…

現在の「パンテクニカン倉庫」だった建物
画像:by Stephen Richards

結局、作品は戻らないまま1950年に松方氏はこの世を去ります。

——それでも。彼の「日本にも、世界に誇れる美術館を」という夢は、消えませんでした。

松方氏の死後、遺族や日本政府が粘り強くフランスと交渉
そして1953年、ようやく一部作品の返還が決定したのです。

そして、それらを迎え入れるために建てられたのが「国立西洋美術館」だったのです。

こうして1959年にオープンした国立西洋美術館。
以来、日本で数少ない西洋美術専門の美術館として、多くの人に愛される存在になっています。


ちなみに——
あの有名な《ファン・ゴッホの寝室》も、実は松方コレクションのひとつだったんです。
しかし残念ながら返還は認められず、今はオルセー美術館に所蔵されています。うーん、惜しい!

オルセー美術館増《ファン・ゴッホの寝室》1889年


所蔵作品ピックアップ

かつて松方コレクションが誇った西洋美術作品は、なんと約3,000点
ただし、火災やフランス政府による接収を経て、1959年の美術館開館時に実際に収蔵されていたのは、そのうち約370点ほどでした。

それから時を経て、個人からの寄贈や美術館の独自収集によって所蔵数はぐんぐん増加。
今では、6,000点を超えるコレクションを誇るまでになっています。

今回はその中から、注目の作品をいくつかご紹介。

※展示作品は時期によって入れ替わるので、事前に公式サイトをチェックするのがおすすめです。
国立西洋美術館のホームページ


クロード・モネ
《陽を浴びるポプラ並木》(1891年)

油彩、カンヴァス、93.0×73.5cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
クロード・モネ(Claude Monet,1840~1926)

「モネ=睡蓮の連作」というイメージの方も多いかもしれませんが、実はその他にも色々な連作シリーズを描いています。本作《陽を浴びるポプラ並木》もそのひとつ、ジヴェルニーのエプト川沿いに生えるポプラ並木を描いたシリーズものです。

画面に広がるのは、抜けるような青空と、川面に映り込む鮮やかな光。
手前のポプラはキャンバスに描き切れないほど高くそびえ、背景には奥へと続く並木の様子が描かれています。
…ただし、その遠近感ははっきりしません。境界がぼやけていたり、形が曖昧だったりするのは、モネならでは「光」の表現方法。あえてディテールをぼかすことで、自然の「空気感」を表現しているんです。

水面にちらつく光の冷たさ、ポプラの葉がきらきらと揺れる感じ──。
まさに“印象”を描いた一枚で、眺めていると、静かな川辺の風の音まで聞こえてきそうな、そんな一枚です。


クロード・モネ
《睡蓮》(1916年)

油彩、カンヴァス、200.5×201.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
フランスのジヴェルニーにある「モネの家」
画像:by Spedona

パリの北西、ジヴェルニーという町。
モネはこの地をとても気に入り、自宅のそばに“水の庭”をつくりました。
あの「睡蓮」シリーズは、まさにこの庭で描かれたものです。

この《睡蓮》も、その連作のひとつ。
まず目を引くのは、水面に映る空の澄んだ青。
浮かぶ睡蓮の花々、周囲の木々の反射、それぞれの色が響き合い、まるで目で感じる音楽のような美しさがあります。

それでいて、描き方はどこか静かでやさしい。
水面のひんやりとした質感に加えて水中の重厚な色彩…etc
細かく描き込まれているわけではないのに、風景を見た瞬間の印象を驚くほど自然に、的確にとらえています。
気づくと、自分の感覚ごと絵の中に引き込まれている──そんな不思議な没入感がある一枚です。


そしてこの作品——
実は、松方幸次郎がモネ本人に直接交渉して手に入れていたものなんです。
1921年、松方は本作を含むモネの作品18点をまとめて購入。そのとき支払った金額はなんと100万フラン──今の価値で約1億5,000万円ほどとも言われています。

アートにそれだけの情熱とお金を注げる人、そうそういませんよね。
その本気が、こうして今の私たちの目の前に残っている。そう思うと、絵の見え方もまた少し変わってくる気がします。

ジヴェルニーの「水の庭」
画像:by World3000

クロード・モネ
《睡蓮、柳の反映》(1916年)

油彩、カンヴァス、199.3×424.4cm
作品解説(クリックまたはタッチ)

1921年、松方幸次郎は


ヨハネス・フェルメール
《聖プラクセディス》(1655年)

油彩、カンヴァス、101.6×82.6cm
作品解説(クリックまたはタッチ)

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
《聖トマス》

油彩、カンヴァス、64.6×53.9cm
作品解説(クリックまたはタッチ

ヴィンチェンツォ・カテーナ
《聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ

テンペラ、板、40.7×51.9cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
ヴィンチェンツォ・カテーナ(Vincenzo Catena,1480〜1531)

ヴィンチェンツォ・カテーナは、ルネサンス期のヴェネツィア派の画家。名前を聞いてピンとくる人は少ないかもしれませんが、同時代の仲間にはジョヴァンニ・ベッリーニ、ジョルジョーネ、ティツィアーノといった、そうそうたる顔ぶれが並びます。

カテーナも初期はベッリーニ風の穏やかで端正なスタイルでしたが、1510年頃からジョルジョーネの影響を感じさせる表現に変化していきました。

この《聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ》の制作年ははっきりしていません。でも、背景に描かれているヴェネツィアの「サンタ・マリア・フォルモーザ聖堂」のファサード(正面)がまだ完成していなかったり、井戸の形状が当時のものと一致したりすることから、1512年頃の作品と考えられています。ちょうどカテーナが作風を変え始めた時期と重なります。

当時は油絵具が少しずつ広まり始めていた時代ですが、この作品はテンペラ(卵を混ぜた絵具)で描かれていて、発色の鮮やかさとマットな質感が印象的。肌や輪郭の繊細な描写は、テンペラならではの美しさです。

派手さはないけれど、静かで丁寧な空気感。ルネサンスの名品って、こういう一枚にも宿っているんですよね。

カルロ・ドルチ
《悲しみの聖母》(1655年頃)

油彩、カンヴァス、82.5×67.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
カルロ・ドルチ(Carlo Dolci,1616~1686)

カルロ・ドルチは、バロック時代にフィレンツェで活躍した画家です。バロックといえば、劇的な光と影のコントラストが特徴ですが、ドルチの魅力はそこに“緻密さ”が加わるところ。

彼は「遅筆の画家」としても知られていて、伝記によれば「片足を描くのに1週間かかった」と言われるほど。でも、そのぶん仕上がりはとても精密で、彼の宗教画は当時から大人気でした。

この《悲しみの聖母》も、そんなドルチの丁寧な筆づかいが光る一枚です。青いマントの柔らかな質感、手の透明感ある描写…細部までとにかく丁寧。しかし、顔――とくに目元はあえて陰で隠されていて、表情がはっきりとは読み取れません。

そこに、逆に心をつかまれます。すべてを見せず、静かに、でも確かに伝わってくる悲しみ。見る人の想像に委ねることで、より深い感情がにじんでくるような作品です。

フィンセント・ファン・ゴッホ
《ばら》(1889年)

油彩、カンヴァス、33.0×41.3cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Viicent van Gogh,1853~1890)

フィンセント・ファン・ゴッホといえば、南仏アルルでの耳切り事件が有名ですよね。その後、彼は精神的に不安定な状態が続き、アルルの北東にあるサン・レミの精神病院に入院することになります。

絵は売れず、心も身体もボロボロ。そんな中でも、ゴッホは自然と向き合いながら少しずつ回復していきました。病院の庭やその周辺の風景が、彼の心を支えていたんですね。

この《ばら》は、まさにその頃に描かれた一枚。外出が禁じられていた時期には、病院の敷地内で蛾を観察したり、アイリスの花を描いたりしていたそうで、この作品もそうした「限られた世界」で見つけた美しさのひとつです。

画面は全体的に柔らかな緑で統一されていて、そこに白やピンクのバラがふわっと浮かび上がるように咲いています。以前のゴッホがよく使っていた、輪郭線で色を分けたり、補色を効果的に使う実験的な技法はあまり見られません。

むしろこの作品から伝わってくるのは、技法うんぬんより「ただ、目の前にある花を見つめて描いた」という素直な気持ち。バラの姿に癒されながら、静かに筆を動かすゴッホの姿が目に浮かぶようです。

ポール・シニャック
《サン=トロぺの港》(1901~1902年)

油彩、カンヴァス、131.0×161.5cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
ポール・シニャック(1863~1935年)

ポール・シニャックは、いわゆる“新印象派”の代表的な画家。特徴はなんといっても、あの点描です。

印象派の画家たちが使っていた「筆触分割」という技法——つまり、色を混ぜずにそのまま並べて視覚的に“混ざったように見せる”やり方を、もっと理論的に、科学的に突き詰めたのが新印象派。その中で、色を小さな点で描く“点描法”が生まれたんですね。

この《サン=トロペの港》は、シニャックがフランス南東の港町・サン=トロペに住んでいた頃に描いたもの。サイズは131×161.5cmとかなり大きめで、画面全体が色の点でびっしり埋め尽くされています。

近づいて見ると、ただの点の集合。でも、少し離れて見ると、空、海、船、建物がパッと浮かび上がってくる。夕方か朝方かはっきりしませんが、港に差し込むやわらかな光と、空気の揺らぎまで感じられるようです。

面白いのは、同じ「ピンク」でも、濃い青の隣にあるときと、水色の隣にあるときで、見え方がまったく違うこと。まるで色同士が会話しているような、不思議な視覚のマジックです。

モーリス・ドニ
《踊る女たち》(1905年)

油彩、カンヴァス、147.7×78.1cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
モーリス・ドニ(Maurice Denis,1870~1943)

モーリス・ドニは、19世紀末のパリで生まれた芸術グループ「ナビ派」の一員。ナビ派の画家たちは、写実的に描くことよりも、絵に“意味”や“象徴”を込めることを大事にしていました。ゴーギャンの影響を強く受けながら、色と形の調和、そしてちょっと神秘的な雰囲気を追求していたんです。

ナビ派といえば、日本の浮世絵からの影響も大きなポイント。線で輪郭をはっきり描いたり、平面的な構図を取り入れたりと、西洋絵画とはちょっと違うアプローチに強く惹かれていました。

この《踊る女たち》にも、その要素がしっかり見られます。縦長の画面はまるで掛け軸のようで、色使いも淡い水色や緑、白をベースに、ところどころ薄い紫が効いています。輪郭線ははっきりしていて、影もグラデーションではなく“色の面”として描かれているのが特徴。全体として、非常に装飾的で、でもどこか静けさのある世界です。

当時の西洋絵画では、こうした「輪郭線で囲った色面」のスタイルはまだ珍しく、「クロワゾニスム」としてポスト印象派以降に広がっていきました。でも私たち日本人にとっては、浮世絵や漫画でもおなじみのスタイルですよね。だからこそ、ドニの作品にもどこか親しみを感じるのかもしれません。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ
《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》(1910年)

油彩、カンヴァス、76.0×61.5cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershøi, 1864-1916)

ヴィルヘルム・ハンマースホイは、デンマークの画家。派手さとは無縁の、静かで淡々とした室内風景を多く描いたことで知られています。

この《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》も、その代表的な一枚。描かれているのは、ハンマースホイが晩年に住んだコペンハーゲンのストランゲーゼ通りにあるアパートの一室です。

一見すると、部屋の中にはほとんど何もありません。扉が開いて奥の部屋がのぞける構図になっていて、そこにあるのはテーブルとピアノ、そしてテーブルの上にぽつんと置かれた銀の皿だけ。家具も装飾も最低限。静かというより、どこか「空っぽ」な印象すらあります。

ピアノの前には、背を向けて座る一人の女性——ハンマースホイの妻、イーダ。彼の作品では人物の顔が描かれることは少なく、ここでも彼女の表情は見えません。でもそのことが、かえって絵に深い余韻を与えています。

この作品には、説明されるような“物語”はありません。ただ、静まり返った空間と、その中にぽつんと存在する人の気配だけがある。まるで音も時間も止まったような室内で、何を感じ取るかは、見る人に委ねられています。

ハンマースホイの絵は「静けさそのもの」です。そしてその静けさは、ただ静かなだけじゃない。何かが始まる前の予感、あるいは、終わったあとの余韻のようにも思えます。

オーギュスト・ロダン
「地獄の門」

ブランズ、540×390×100cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin, 1840〜1917)

オーギュスト・ロダンといえば「考える人」。誰もが一度は見たことがある有名な彫刻ですよね。でも、あの像がもともと「地獄の門」という巨大な作品の一部だったこと、ご存知でしたか?

「地獄の門」は、1880年にロダンがパリの装飾芸術美術館の入口を飾るために依頼された作品。そのテーマに選んだのが、ダンテの『神曲』の中に出てくる“地獄の入口”でした。

結局、建物の計画自体が途中で中止になってしまい、門も完成することはありませんでしたが、ロダンは制作をあきらめず、20年かけて石膏による原型を完成させます。そして1900年のパリ万博でお披露目されたのが、現在ロダン美術館に収蔵されている“地獄の門”の原型です。

その石膏原型をもとに、ロダンの死後にいくつかの鋳造作品が制作されるのですが、その最初の注文主が、あの松方幸次郎。そう、国立西洋美術館の設立に関わったあの松方さんです。

上野の国立西洋美術館の前庭にある《地獄の門》は、高さ5.4メートル、幅3.9メートル。見上げるほどの迫力で、扉の上にちゃんと“考える人”が座っています。

ちなみに、世界に現存する鋳造版はたった7点のみ。パリのオルセー美術館の原型を除けば、かなり貴重な作品なんです。しかも西洋美術館の前にあるこの作品は、なんと無料で見られる。近くを通ることがあれば、ぜひ立ち止まって、あの門の前で自分も少し“考える人”になってみてはどうでしょうか?

まとめ

国立西洋美術館の魅力は、充実した企画展だけでなく、西洋美術専門の美術館として収集を重ねてきた質の高いコレクションにあります。松方コレクションはさまざまな困難により数を減らしてしまいましたが、松方幸次郎の「日本人に西洋美術への理解を深めてほしい」という想いは受け継がれ、現在まで幅広い年代や流派の作品が集められてきました。

収蔵品は現在6,000点を超え、その質の高さも国内屈指です。常設展示スペースも広く設けられ、企画展示に劣らない見応えがあります。今回ご紹介した作品はコレクションのほんの一部に過ぎないので、ぜひ美術館まで足を運び、さまざまな西洋美術の傑作をご覧ください。

館内にある「カフェすいれん」

国立西洋美術館 カフェすいれん1
国立西洋美術館 カフェすいれん2
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国立西洋美術館の基本情報

所在地:東京都台東区上野公園7番7号

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