和泉市久保惣記念美術館について

和泉市久保惣記念美術館は、大阪府和泉市にある市立美術館で、1982年(昭和57年)に開館しました。主に日本や中国の絵画、書、工芸品などの東洋古美術を所蔵し、その数は約12,000点にのぼります。また、これらのコレクションには、国宝2点、重要文化財29点が含まれています。
美術館の設立は、明治時代から約100年にわたり綿業を営んできた「久保惣」株式会社の三代目社長、久保惣太郎氏が所蔵していた古美術品約500点と、土地、建物、基金を和泉市に寄贈したことがきっかけとなりました。その後、1997年には新館が、1999年には音楽ホールや市民ギャラリーなどが寄贈され、美術講座やコンサート、市民ギャラリーの開催など、市民の文化活動の場としても活用されています。
また、敷地内の庭園が美しく見ごたえがあります。美術鑑賞の合間に一息入れて眺めてみるのもいいでしょう。

所蔵作品紹介
主な収蔵品には、国宝である平安時代の書画『歌仙歌合』や、重要文化財の宮本武蔵作『枯木鳴鵙図』があります。またその他にもモネの『睡蓮』やルノワール、ゴッホら海外の画家の作品も含まれており、美術館の目玉となっています。今回はその中から何点か紹介していきます。
※コレクション展では作品の入れ替えが行われるため、所蔵作品が常に展示されているとは限りません。展示作品の詳細については美術館のHPをご確認ください。→和泉市久保惣記念美術館HP
クロード・モネ
『睡蓮』(1907年)

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クロード・モネは、1883年、43歳のときにフランス北西部の田舎町ジヴェルニーに移り住みました。この地を気に入ったモネは、自宅の庭を拡張し、水を引いて日本風の太鼓橋を架けました。この庭は「水の庭」と呼ばれ、現在も一般公開されています。

画像:by World3000
代表的な連作「睡蓮」は、この「水の庭」にて1895年頃から描かれ始めました。初期の作品では太鼓橋を中心に庭全体を捉えた構図が多く見られましたが、やがてモネは池に浮かぶ睡蓮や、水面に映る木々や空の表情に強く惹かれるようになります。
本作『睡蓮』は、その時期に制作された一作で、画面には池の水面のみが描かれています。画面下部では、水面に静かに浮かぶ睡蓮が落ち着いた調子で表現されている一方、上部では逆光に照らされた木々の姿が、燃え立つような鮮やかな色彩で水面に映し出されています。穏やかな水面と、そこに映る光の戯れが織りなすドラマティックな対比が、本作の魅力を際立たせています。
オーギュスト・ルノワール
『カーニュのメゾン・ド・ラ・ポスト』(1906年)

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晩年、リウマチを患ったオーギュスト・ルノワールは、療養のため温暖な南仏カーニュ=シュル=メールに滞在するようになりました。カーニュでは「メゾン・ド・ラ・ポスト」と呼ばれる郵便局の入った建物を借り、創作活動を続けました。
本作『カーニュのメゾン・ド・ラ・ポスト』は、その建物のテラスからの風景を描いた作品で、丘の斜面に広がるカーニュの町並みを背景に、前景にはテラスに座る婦人が小さく描かれています。
ルノワールは人物画の名手として知られていますが、本作のように優れた風景画も数多く残しています。本作では、木々や建物の表現にも人物画と同様の柔らかな筆致が用いられ、陽光に包まれた南仏の温かな空気感が見事に捉えられています。
この作品が描かれた後の1907年、ルノワールはカーニュに土地を購入し、新たに住居を構えました。そこは彼の終の棲家となり、現在は「ルノワール美術館」として一般公開されています。

画像:by Rdavout
フィンセント・ファン・ゴッホ
『紡ぎ車をくる女』(1883~1884年)

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ポスト印象派の画家として知られるフィンセント・ファン・ゴッホは、画家になる前に伝道師として活動していたという異色の経歴を持っています。画家となった後も、その経験が彼の作品に強く影響を与えており、「貧しい人々のために」という伝道師時代の志を捨てることなく、彼は労働者や農民など、当時厳しい生活を送っていた人々を主題に多くの作品を描いていきました。
本作『糸を紡ぐ女』もそのような時期に制作された作品のひとつで、薄暗い室内で静かに糸を紡ぐ女性の姿が描かれています。後年の「ひまわり」などと比べると、色彩は抑えられ、全体的に重厚で暗いトーンが特徴的です。ここには、「貧しい人々の生活をありのままに描く」というゴッホの信念が強く表れており、ジャン=フランソワ・ミレーをはじめとするバルビゾン派の影響が感じられます。
なお、和泉市久保惣記念美術館には、本作と同時期に制作されたゴッホの作品が、ほかにも2点収蔵されています。


【国宝】
『歌仙歌合(かせんうたあわせ)』(11世紀中頃)
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本作は、柿本人麻呂や紀貫之、小野小町など、7世紀から11世紀前半に活躍した歌人30人の和歌130首を、歌合(うたあわせ)の形式で記した作品です。歌合とは、歌人を左右二組に分け、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を競う遊戯のことを指します。本作では、その様子が上下二段にわたって展開されており、書の作者は「三跡」の一人として名高い藤原行成とされています。
料紙には、雁皮(がんぴ)を原料とした和紙の一種である「鳥の子紙」が用いられ、ところどころに雲のような模様が漉き込まれています。こうした意匠は、装飾性を高めるだけでなく、作品全体に雅やかな趣をもたらしています。
また、本作に登場する30人の歌人は、藤原公任による『三十六人撰』に選ばれた29名と一致しており、本作が当時の歌人選定の議論と深い関わりを持つことが指摘されています。藤原公任は、具平親王との間で歌人の評価を巡る論争を繰り広げたことで知られており、彼は『三十人撰』(現存せず)を編纂し、具平親王に贈りましたが、親王はその内容を改撰し、公任に贈り返したと伝えられています。その後、具平親王はまもなく没しましたが、公任は改訂を加え『三十六人撰』を完成させました。この経緯から、本作《歌仙歌合》における「三十人撰」は、散逸した藤原公任の『三十人撰』と何らかの関連があると考えられています。
このように、本作は高度な書の技法と優美な装飾性を備えた美術品であると同時に、平安時代の和歌史を知る上で極めて重要な資料でもあります。美術的・歴史的価値の両面から、国宝としての意義が高く評価されています。


ちなみに本作の全18頁は美術館の公式HPにて公開されています。参照→和泉市久保惣記念美術館 デジタルミュージアム『歌仙歌合』
【重要文化財】
宮本武蔵
『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』(江戸時代初期)

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天下無双の剣豪として名高い宮本武蔵は、剣の道を極める一方で、書画や彫刻にも秀でた才能を発揮し、優れた芸術作品を残しました。
本作『枯木鳴鵙図』は、武蔵が50代の頃に制作したとされる水墨画で、一本の枯木(竹と見られる)に、一羽の鵙(もず)が鋭い眼差しでとまる姿が描かれています。画面中央には、竹の枝をゆっくりと這い上る尺取虫の姿も確認できます。
鵙は小柄ながらも気性が荒く、「モズタカ」という異名を持つほどの猛禽性を備えた鳥です。一方で、尺取虫はゆっくりと動き、無防備な存在として対比的に描かれています。静寂に包まれたこの画面の中で、やがて訪れるであろう捕食の瞬間が予感され、独特の緊張感を生み出しています。
武蔵は、剣の道においても「兵法二天一流」を創始し、相手の動きを見極め、一瞬の隙を突くことを極意としました。本作にもその武道的な洞察が反映されており、単なる自然描写を超えた、死生観や自然の厳しさを内包した作品となっています。こうした独特な世界観は、武芸を極めた武蔵だからこそ表現できたものかもしれません。
庭園
美術館の新館と本館の間は庭園の間を通って移動することになります。美術鑑賞の合間に美術館の庭園に癒されましょう。
和泉市久保惣記念美術館の基本情報
所在地:大阪府和泉市内田町3丁目6−12
アクセス | 和泉高速鉄道「和泉中央」駅からバスで約10分。アクセス方法の詳細→和泉久保惣記念美術館HP |
料金 | 【常設展】一般:\500(400) 高・大生:\300(240) 中学生以下:無料 (括弧内は団体料金→20名以上から) その他の割引など→和泉市久保惣記念美術館HP |
開館時間 | 10:00~17:00(入館は16:30まで) |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は開館し、翌平日休館) 年末年始・陳列替期間 |

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