愛知県美術館のみどころ クリムトの『黄金の騎士』

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愛知県美術館について

愛知県美術館は、愛知県名古屋市にある県立の総合美術館で、近現代の国内外の美術作品を幅広く収蔵しています。名古屋の文化施設が集まる「愛知芸術文化センター」の10階と8階に位置し、展示室や講堂、ミュージアムショップなどを備えています。

収蔵品の中でも、グスタフ・クリムトの『人生は戦いなり(黄金の騎士)』は特に注目すべき作品のひとつです。当美術館のリニューアルに際し、1989年に17億7千万円(トヨタ自動車株式会社からの寄附金)で購入され、開館以来コレクションの目玉となっています。

また、コレクション展示階の上層にある11階には展望回廊があり、名古屋の街並みを一望できるのも、当美術館の魅力のひとつです。

展望回廊からの眺め

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目次

所蔵作品

※所蔵作品の全てが展示されているわけではありません。コレクションへ行かれる際には展示作品の確認をおすすめします。愛知県美術館HP

グスタフ・クリムト
『人生は戦いなり(黄金の騎士)』(1903年)

油彩・テンペラ・金箔、カンヴァス、100.0×100.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
グスタフ・クリムト(Gustav Klimt,1862~1918)

グスタフ・クリムトは19世紀末から20世紀初頭に活躍したオーストリアの画家で、金箔を用いた煌びやかな画風で知られています。

クリムトはウィーン工芸美術学校を卒業した後、美術館の装飾画を手がけるなどして人気画家となっていきました。しかし、1894年に国から依頼されたウィーン大学大講堂の天井画『哲学』『医学』『法学』が、その奇抜さゆえに世間から大きな批判を受けると、クリムトはこの契約を破棄し、制作資金も返却することになりました。さらに、1902年にベートーヴェンを称賛するために開かれた第14回ウィーン分離派展で発表した『ベートーヴェン・フリーズ』も不評を買ってしまいます。

「医学」
「哲学」
「法学」
「ベートーヴェン・フリーズ(騎士の部分)」
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その後の1903年、第18回ウィーン分離派展にて発表されたのが、本作『人生は戦いなり(黄金の騎士)』です。馬にまたがる黄金の甲冑を身にまとった騎士は、『ベートーヴェン・フリーズ』に描かれた騎士と同じ姿であり、否定的な世論の中でも自らの芸術的理想を貫こうとするクリムト自身の姿を重ねたものとも言われています。

本作『人生は戦いなり』から、こうしたクリムトの「決意表明」が読み取れる一方で、それを単なる主張ではなく、装飾美として表現しようとした点に、クリムトの独自性があると言えるでしょう。また、人物を真横から描く構図には、古代エジプト壁画のような様式を取り入れており、さらに、馬の手綱に見られる市松模様や、地面に施された金箔の継ぎ目(箔足)のような装飾には、日本美術の影響を見ることができます。ここから、クリムトがプリミティブアートの装飾性を積極的に取り入れたことがうかがえます。

この作品の後、クリムトは『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』や『接吻』などの大作を手がけ、黄金様式をさらに発展させていきました。そうした意味で、本作『人生は戦いなり(黄金の騎士)』は、まさにクリムトの芸術の転機となった重要な作品と言えるでしょう。

「接吻」(1908~1909)

モーリス・ドニ
『花飾りの舟』(1921年)

油彩、カンヴァス、88.3×113.3cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
モーリス・ドニ(Maurice Denis,1870~1943)

モーリス・ドニは19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したフランスの画家であり、美術理論家でもあります。ナビ派の中心的な画家の一人として知られ、「絵画は、何よりもまず平面に配置された色の組み合わせである」という有名な言葉を残しました。これは、単なる写実的な再現ではなく、装飾性や象徴性を重視した新しい絵画のあり方を示すものでした。

初期のドニの画風は、ポスト印象派や日本美術の影響を受けた平面的で装飾性の高いものでしたが、1890年代後半のイタリア旅行を経て、古典絵画を意識した作風へと変化していきました。

「カトリックの謎」(1889年)

本作『花飾りの舟』は、フランスのブルターニュ地方・プルマナックという港町の船祭を題材に、ドニの家族を描いた作品です。本作は、色鮮やかで装飾的な表現を特徴としながらも、人物や背景は緻密に描かれており、また、人物の動きや姿勢には、古典絵画の構成を意識した要素が見られます。本作は、ナビ派の装飾性と古典絵画の影響が融合した作品であるといえるでしょう。

ちなみに、本作はもともと倉敷の大原美術館が所蔵しており、同美術館に収蔵される『波』と同じ時期に購入されたものです。しかし、1936年に大原美術館は本作を手放し、個人を経由して2020年に愛知県美術館が収蔵するに至りました。つまり、本作は近年になって再び公に鑑賞できるようになった貴重なドニ作品といえます。ぜひ美術館でその魅力を味わってみてください。

大原美術館蔵 『波』(1916年)

アンリ・マティス
『待つ』(1921~1922年)

油彩、カンヴァス、61.0×50.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
アンリ・マティス(Henri Matisse,1869~1954)

アンリ・マティスは20世紀フランスを代表する画家の一人で、フォーヴィスム(野獣派)の創始者として知られています。

マティスと言えば、強烈な色彩を用いた作品が広く知られていますが、1917年に南仏コート・ダジュールのニースに移り住んで以降、その画風は落ち着きを見せるようになります。この時代は「秩序への回帰」と呼ばれ、第一次世界大戦後、ナショナリズムの影響で前衛画家たちの間でも古典的な表現へ回帰する傾向が強まっていました。

本作『待つ』も、そうした時期に描かれた作品で、窓辺から外を眺める二人の女性が描かれています。画面は窓を中心に左右対称的に構成されているように見えますが、外を見る左側の人物と、うつむく右側の人物、そして左側だけ開けられたカーテンなど、微妙なズレがあることで、静かな物語性が生まれています。また、『待つ』というタイトルも、マティスの作品としては珍しく、普段は物語性よりも色彩や構成を重視する彼にとって、本作のタイトルと構図の配置には、特別な意味が込められているように感じられます。

残念ながら、マティスは本作について詳しく言及していません。しかし、マティスの作品の中でも異彩を放つこの静謐な画風からは、静かな緊張感とともに、どこかミステリアスな雰囲気も感じられます。

ライオネル・ファイニンガー
『夕暮れの海Ⅰ』(1927年)

油彩、カンヴァス、42.5×85.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
ライオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger,1871~1956)

ライオネル・ファイニンガーは、アメリカ生まれのドイツ表現主義・キュビスムの画家・版画家です。風刺漫画家・挿絵画家として活躍した後、30代後半になって初めて油彩画を描き始めたファイニンガーは、1911年に出会ったキュビスムに大きな影響を受け、独自のスタイルを確立していきました。

本作『夕暮れの海Ⅰ』は、水平線から昇る太陽の輝きを、ファイニンガー特有の幾何学的な構成で描いた作品です。画面を支配する淡い黄色には、微妙に異なる多様なトーンが用いられ、幾何学的な構成でありながら、点描やグラデーションを駆使し、統一感のある画面に仕上がっています。

ファイニンガーの作品で最も特徴的なのは、その独特な光の表現です。一見キュビスム的な抽象画に見える作品でありながら、彼は光芒(光の筋)や空間への光の広がりを幾何学的な構成で描き、極めて自然光に近い効果を生み出しました。一般的な表現主義の画家たちは、主に色彩や形態を通じて自身の内面を表現しようとしましたが、ファイニンガーは光の表現を、表現主義的な内面表現の枠組みから解放し、より実験的・造形的な視点で探究していきました。本作はその探求の一つの到達点であり、光と空間を幾何学的に再構築することで、新たな視覚的体験を生み出しています。

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
『日の当たる庭』(1935年)

油彩、カンヴァス、80.0 x 70.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner,1880~1938)

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーは、ドイツ表現主義を代表する画家であり、美術運動 「ブリュッケ(Die Brücke)」の創設者の一人として知られています。彼の作品は、鋭いデフォルメと強い色彩による表現が特徴的であり、人物画では都市の喧騒や内面的な不安を描き出し、緊張感のある作風が多く見られます。その一方で、風景画においては、より柔らかな色彩を用いた作品も数多く残しました。

本作 『日の当たる庭』 はその一例であり、スイスのバーゼルに滞在していた際に、ホテルの窓から見た風景を描いたもので、煙草で一服する合間に見た穏やかな路地の様子が描かれています。キルヒナーの独特なデフォルメが施されているものの、路地の木や地面を照らす光や、路地を通る人、窓辺に置かれた灰皿とタバコなど、窓から見た何気ない日常の風景を率直に描いたことが見て取れます。

「酒飲み(自画像)」(1914年)

キルヒナーは第一次世界大戦時に従軍した後、神経衰弱に陥り、アルコールや薬物依存に苦しむようになりました。また、1930年代には肺疾患が悪化し、彼の体調はますます悪化していきす。さらに、本作制作後の1937年にナチス政権下で開催された「退廃芸術展」において彼の作品32点が「退廃芸術」として展示され、公開で嘲笑されることになりました。こうした苦境からキルヒナーは1938年に自ら命を絶ってしまいます。

本作『日の当たる庭』は、そうした苦境の中で描かれた作品でありながら、穏やかな光と静けさを湛えた一枚です。この作品からは、キルヒナーが人生の束の間に感じた平穏なひとときを見出すことができます。

岸田劉生
『高須光治君之肖像(たかすみつはるくんのしょうぞう』(1915年)

油彩、カンヴァス、45.5×38.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
岸田劉生(きしだ りゅうせい、1891~1929)

岸田劉生は大正から昭和初期にかけて活躍した日本の洋画家です。彼の代表作として『麗子像』の連作が広く知られていますが、それ以前から親しい人物をモデルにした肖像画を多く手がけていました。その熱心さから、周囲の人々から「岸田の首狩り」と呼ばれることもあったといいます。

本作『高須光治君之肖像(たかすみつはるくんのしょうぞう』は愛知県出身の画家・高須光治をモデルにしたもので、劉生の個展で大変な感銘を受けた高須が、劉生のもとを訪れた際に描かれたとされています。

この時期の劉生は、西洋の古典的な画風に傾倒しており、特にアルブレヒト・デューラーの影響を強く受けていました。本作においても、明暗のコントラストを活かした写実的な表現や、細密な描き込み、背景に記された英字の表現などからも、デューラーの影響を感じ取ることができます。

劉生の画風は時代とともに変化していきますが、このデューラー風の様式はしばらく継続し、東京国立近代美術館所蔵の『麗子肖像(麗子五歳之像)』(1918年)にも、その特徴が見られます。本作は、劉生が写実性の探求に情熱を注いでいた時期の重要な一作と言えるでしょう。

東京国立近代美術館蔵「麗子五歳之像」(1918年)

愛知県美術館の基本情報

所在地:愛知県名古屋市東区東桜1丁目13−2

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