常設展もみて! 国立西洋美術館と松方コレクション そのみどころ

国立西洋美術館

国立西洋美術館は、東京・上野公園内にある西洋美術を専門とする美術館です。

美術館の本館は、1959年にフランスの建築家ル・コルビュジエによって設計され、2016年に世界文化遺産に登録されたことでも話題になりました。

企画展が定期的に開催されているほか、常設展示も充実しており、松方コレクションを基に6000点以上の作品が収蔵されています。西洋美術が好きな人はぜひ訪れてほしい美術館でもあります。

国立西洋美術館館内1
国立西洋美術館館内2
国立西洋美術館館内3
国立西洋美術館館内4
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国立西洋美術館と松方コレクション

松方幸次郎(1866~1950年)

国立西洋美術館の設立には、実業家・松方幸次郎が収集した松方コレクション」が大きく関わっています

松方コレクションは、1910年代から1920年代にかけて松方が収集したもので、浮世絵約8,000点と西洋美術品約3,000点を含む膨大なコレクションでした。

しかし、1927年の金融恐慌の影響で、当時松方が社長を務めていた川崎造船所の経営が破綻し、負債のために多くの作品を売却せざるを得なくなります。ロンドンとパリに保管していた約1,400点は辛うじて残されましたが、1939年のロンドンの火災で900点以上が焼失し、パリに保管されていた400点以上も戦後、フランス政府に接収されてしまいました。

1950年に松方幸次郎は亡くなりますが、松方の親族と日本政府がフランスに働きかけた結果、1953年にコレクションの寄贈返還が決定します。そして、返還されたコレクションを収蔵するために国立西洋美術館の設立が決まり、1959年に美術館が開館したのです。

ちなみに、ファン・ゴッホの作品で有名な「ファン・ゴッホの寝室」は松方コレクションのひとつでしたが、返還は認められず、現在はオルセー美術館が所蔵しています。

オルセー美術館増「ファン・ゴッホの寝室」1889年




目次

所蔵作品紹介

松方コレクションの西洋美術品はかつて3000点という膨大な数でしたが、国立西洋美術館設立時の収蔵作品数は370点ほどでした。しかし、個人からの寄贈や美術館の収集活動により、現在では6000点を超える作品が収蔵されています。今回は、その中から何点かの作品を紹介していきます。すべての作品が常設されているわけではありませんので、訪れる際には美術館のホームページを確認することをお勧めします。

クロード・モネ
「陽を浴びるポプラ並木」(1891年)

油彩、カンヴァス、93.0×73.5cm

クロード・モネ(Claude Monet,1840~1926)と言えば「睡蓮」の連作が有名ですが、彼は他にも、ジヴェルニー近郊のエプト川沿いに並ぶポプラの木を題材にした「ポプラ並木」シリーズも制作しています。この連作は20点以上に及び、さまざまな季節や時刻、天候の中でポプラ並木が描かれました。本作もそのうちの1点で、青空が水面に映るほど晴れた日の様子が描かれています。

この作品の特徴のひとつは構図にあります。手前のポプラは画面の外まで縦にまっすぐ伸びており、一方で遠景のポプラは列をなして奥へと消えていきます。ポプラの木々は岸辺に沿ってS字を描くように並び、前景のポプラは画面外で奥のポプラ並木に続いていますが、モネ独特の筆致によりその位置関係はあえて曖昧にされています。モネは色の鮮やかさや明度にこだわり、微妙な色の変化を捉えることに注力しました。一見すると曖昧なタッチで描かれていますが、水面に反射する冷ややかな光や、遠景で輝く緑のポプラの木々が、自然の光と色彩の繊細さを心地よく表現しており、鑑賞者をその風景へと引き込みます。

ヴィンチェンツォ・カテーナ
「聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ」

テンペラ、板、40.7×51.9cm

ヴィンチェンツォ・カテーナ(Vincenzo Catena,1480~1531)は盛期ルネサンスのヴェネツィア派の画家です。カテーナの名前はあまり知られていませんが、同時期に活躍した有名なヴェネツィア派の画家としてジョヴァンニ・ベッリーニやジョルジョーネ、そしてティツィアーノ・ヴェチェッリオがあげられます。カテーナの初期の画風はベッリーニに近い作風ですが、1510年頃からジョルジョーネの影響がみられだします。

本作品が描かれた正確な年月日は不明ですが、背景に描かれているヴェネツィアのサンタ・マリア・フォルモーザ聖堂広場の井戸の形状や、聖堂のファサード(正面の外観のこと)が未完成である点などから1512年頃に描かれたものであると推察されています。ちょうどカテーナの作品にジョルジョーネに影響が表れだした頃になります。

時代的に油絵具が使われだしていた頃ですが、本作品は板地にテンペラ絵具(顔料を卵で溶いた絵具)で描かれており、鮮やかな発色とマットな質感が特徴的です。明確で繊細な輪郭線や肌のカッチリとした表現はテンペラ絵具にしか出せない魅力でもあります。

カルロ・ドルチ
「悲しみの聖母」(1655年頃)

油彩、カンヴァス、82.5×67.0cm

カルロ・ドルチ(Carlo Dolci,1616~1686)は主にフィレンツェで活動したバロック期の画家です。バロック絵画にみられる強い明暗が特徴的です。ドルチは遅描きの画家として知られており、伝記作家フィリッポ・バルディヌッチによれば「ドルチは片足を描くのに1週間もかかった」といわれている程です。その代わり、ドルチは微細に描くことに長けており、彼の描く宗教画は人気を博しました。

「悲しみの聖母」は、当時の画家たちに好まれた宗教画のテーマのひとつであり、信心深いドルチもこのテーマで多くの作品を手がけています。本作「悲しみの聖母」もその一つで、彼の緻密な筆致が際立っています。青いマントの質感や、手の描写など透明感がある描写が印象的ですが、その眼差しは強い陰影によりはっきりとは描かれていません。あえて陰で隠すことで、その悲痛な心情を表現しているかのようです。


フィンセント・ファン・ゴッホ
「ばら」(1889年)

油彩、カンヴァス、33.0×41.3cm

フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh,1853~1890)が南仏アルルで精神病を発症し耳を切り落としたことは有名です。ゴッホはその後、発作を繰り返すようになり、アルルの北東に位置するサン・レミの精神病院に入院することになりました。絵も売れず、精神病まで患ったゴッホは気落ちしていましたが、サン・レミの自然に触れて次第に元気を取り戻していきました。

ゴッホはそのタッチの荒さから繊細なイメージはあまりないかもしれませんが、風景画においては地平線を画面上部にとり、草木の葉や麦畑の穂のうねり等を細かく描くことを好みました。入院直後に外出を禁止されていた際には、蛾を捕まえて写生したり、病院の庭にあるアイリスなどを描いています。それらと同じ頃に描かれたのが本作品「ばら」です。

緑で統一された画面の中の白、ピンクのバラが印象的です。クロワゾニスムにみられる線で色面を分割する方法や補色効果を用いた技法はパリやアルル時代によく使われましたが、本作品においてそれらの方法・技法はあまり意識されておらず、あくまでゴッホ自身の目に映った色を率直に描いているように見えます。入院していた当時のゴッホにとって主義や技法などは二の次で、彼は目に映る自然を素直に描こうとしていました。この作品からは、病院の庭で自由に描くゴッホの姿が想像することができます。


ポール・シニャック
「サン=トロぺの港」(1901~1902年)

油彩、カンヴァス、131.0×161.5cm

ポール・シニャック(Paul Signac,1863~1935)は新印象派の画家で、点描技法を用いた作品で知られています。印象派で使用されていた「筆触分割」(色を混ぜず、鮮やかな筆触を隣り合わせることで視覚的な混色を生む技法)を、新印象派の画家たちは科学的な理論に基づいてさらに精密に行おうと試みました。その結果、点描法が生まれました。

本作品「サン=トロペの港」は、シニャックがフランス南東の港町サン=トロペに住んでいた時期に描かれたものです。この頃、シニャックの点描の筆触は以前より大きくなり、隣り合う色の対比がより強調されています。本作品は131×161.5cmとシニャックの作品の中でも大きめです。近くで見ると無数の点の集まりに見えますが、少し離れてみると色の面が響き合い、美しい夕方(もしくは朝方?)のサン=トロペの港が浮かび上がります。同じ色でも、濃い青色のそばにあるピンクと、水色のそばにあるピンクが異なる色に見えるのが不思議ですね。


モーリス・ドニ
「踊る女たち」(1905年)

油彩、カンヴァス、147.7×78.1cm

モーリス・ドニ(Maurice Denis, 1870-1943)はナビ派の画家として知られています。ナビ派は、1888年に当時パリの美術学校に通っていた若い画家たちによって結成された芸術集団です。彼らはゴーギャンの綜合主義に影響を受け、絵画の中に秩序や神秘性を見出すことを重視しました。そして、写実主義や印象主義が追求した物の形や自然の光の忠実な再現を否定し、絵画を芸術家が生み出す暗喩と象徴性の総合であるとする独自の美学を展開していきます。

ナビ派の画家たちは、ゴーギャンと同様に日本の浮世絵などから大きな影響を受けました。日本画の平面的なスタイルに加え、掛け軸や短冊絵のような縦長の構図にも惹かれたのです。本作品「踊る女たち」にも縦長のキャンバスが用いられ、日本画からの影響がうかがえます。

この作品の特徴のひとつは、装飾性の豊かさです。画面は水色、緑、白を基調に構成され、ところどころに薄紫色が配色されているのが印象的です。細かなタッチは極力排除され画面のほとんどが色面により構成されており、暗めの輪郭線で形が描かれています。さらに、グラデーションは使われず、影の部分も色面で表現されているため、画面全体が鮮やかで明快です。

私たち日本人にとって「輪郭線」は日本画や漫画で見慣れているため馴染み深いものですが、当時の西洋絵画においては革新的なものでした。この輪郭線を用いた表現は、ポスト印象派以降「クロワゾニスム」と呼ばれ、色面を強調する絵画手法として広がっていきました。


ヴィルヘルム・ハンマースホイ
「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」(1910年)

油彩、カンヴァス、76.0×61.5cm

ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershøi, 1864-1916)は、デンマーク出身の画家で、独特の雰囲気を持つ室内風景画で知られています。彼の作品には、1898年から1909年まで暮らしたコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地のアパートが多く描かれており、本作「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」は、その後、向かいに位置するストランゲーゼ25に移ってから描かれた作品です。

ハンマースホイの作品で特徴的なのは、室内に生活感のあるものがほとんど描かれないことです。本作でも、扉を隔てた二つの部屋にはテーブルとピアノだけが配置されています。テーブルには銀の皿が一つ置かれているものの、その上には何もなく、無機質な雰囲気が漂っています。装飾も全くなく、唯一ピアノの上に掛けられた絵画がありますが、部屋の陰影によりその内容ははっきりとわかりません。

ハンマースホイの作品におけるもう一つの特徴は、室内にいる人物の表情が描かれないことです。この作品でも、妻イーダはピアノを弾くために背を向けているため、その顔は見えません。

生活感の一切ない静謐な室内で、部屋越しにピアノを弾く女性を見つめるような構図には、どのような意味が込められているのでしょうか。このミステリアスな雰囲気が、鑑賞者の想像力を大いにかき立てます。

オーギュスト・ロダン
「地獄の門」

ブランズ、540×390×100cm

オーギュスト・ロダン(François-Auguste-René Rodin, 1840〜1917)は「考える人」の像で広く知られていますが、この像はもともと「地獄の門」の一部として制作されました。実際に「地獄の門」の扉上部に「考える人」が配置されているのが見て取れます。

1880年、ロダンは現在のパリ装飾芸術美術館の入口扉の制作を依頼され、そのテーマにダンテの『神曲』の「地獄の門」を選びました。しかし、美術館の建設計画が中止となり資金も尽きたため、ロダンは「地獄の門」を鋳造する機会を失いました。それでも制作を続け、1900年のパリ万博では新たに石膏で仕上げた「地獄の門」を展示し、のちにロダン美術館に収蔵されることになります。

ロダンの死後、この石膏の「地獄の門」から複数の鋳造作品が制作されます。そして、最初にそれを注文したのが国立西洋美術館の母体となる松方コレクションを築いた松方幸次郎でした。この「地獄の門」は高さ約5.4メートル、幅3.9メートルの大作で、美術館の前庭に展示されています。パリのオルセー美術館にある原型を除き、鋳造作品は世界に7つしか存在しません。国立西洋美術館前の展示は無料で鑑賞できるため、美術館の前を通る際にはぜひ立ち寄ってみてください。

まとめ

国立西洋美術館の魅力は、充実した企画展だけでなく、西洋美術専門の美術館として収集を重ねてきた質の高いコレクションにあります。松方コレクションはさまざまな困難により数を減らしてしまいましたが、松方幸次郎の「日本人に西洋美術への理解を深めてほしい」という想いは受け継がれ、現在まで幅広い年代や流派の作品が集められてきました。収蔵品は現在6,000点を超え、その質の高さも国内屈指です。常設展示スペースも広く設けられ、企画展示に劣らない見応えがあります。今回ご紹介した作品はコレクションのほんの一部に過ぎないので、ぜひ美術館まで足を運び、さまざまな西洋美術の傑作をご覧ください。

館内にある「カフェすいれん」

国立西洋美術館 カフェすいれん1
国立西洋美術館 カフェすいれん2
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国立西洋美術館の基本情報

所在地:東京都台東区上野公園7番7号

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