
埼玉の「アートの森」──埼玉県立近代美術館へようこそ!
北浦和公園の一角に、ひっそりと、でも確かな存在感で佇むのが 埼玉県立近代美術館(MOMAS)。
開館は1982年。建築好きの間でも知られるのが、あの黒川紀章が初めて手がけた美術館建築であるということ。国立新美術館やゴッホ美術館別館の設計でも知られる彼の原点が、ここにあります。
外観から内装まで、無駄を削ぎ落としたモダンなデザインが印象的。館内に足を踏み入れた瞬間から、「作品を観る」だけでなく「建物そのものを味わう」楽しさも味わえる場所です。
作品ラインナップも個性派揃い!
展示は、フランス印象派やエコール・ド・パリ、日本近代絵画から現代アートまで幅広くカバー。美術の教科書で見たあの作品から、名前も知らなかったアーティストとの出会いまで、視野がぐっと広がるラインナップです。
なかでも注目したいのが、約3,700点ある収蔵作品のうち、2,000点以上が埼玉ゆかりの作家によるものという点。地元の知られざる才能に光を当てる姿勢が、この美術館の芯の部分。展示を眺めているうちに、「こんな作家がいたんだ」と思わず足を止める瞬間があるはずです。

埼玉県立近代美術館のコレクションを紹介
※コレクション展の内容は随時変更されます。美術館を訪れる前に、あらかじめHP等でご確認することをお勧めします。
▶埼玉県立近代美術館HP
クロード・モネ
《シヴェルニーの積みわら、夕日》(1888~1889年)

作品解説

「積みわら」シリーズの“元祖”
フランス印象派の巨匠クロード・モネが暮らした場所、シヴェルニー。その地で彼が繰り返し描いたモチーフのひとつが「積みわら」です。どこにでもある農村の風景を、モネは何十ものバリエーションで描き続けました。今回紹介する《シヴェルニーの積みわら、夕日》(1888〜1889年)は、後に有名になる“積みわらシリーズ”の先駆けともいえる作品。つまり、「元祖・積みわら」とも呼べる一枚です。

“光”の色
モネは、ただ風景をなぞるように描いたわけではありません。
彼が見ていたのは、景色そのものではなく、そこに差し込む“光”の変化。時間、天候、季節によって移ろう光の表情に、とことん向き合い続けました。
この作品が描いているのは、日が沈む直前の夕暮れ。
太陽は傾き、積みわらを背後から照らします。
その逆光に照らされる一瞬、積みわらの輪郭はふわりとオレンジに染まり、影には繊細でやわらかな青や緑がひそんでいる──モネは、その微妙な変化を鋭い感覚でとらえました。
彼が筆をとったのは、まさにその一瞬のため。
太陽の角度、空気の透明度、雲のかかり具合──いくつもの条件がぴたりと重なったときにだけみせる、その積みわらのごくわずかな表情の違い。
それを逃さず、永遠に留めようとした執念が、この一枚には宿っています。
クロード・モネ
《ルエルの眺め》(1858年)

作品解説
モネ、17歳。すべてはここから始まった
この《ルエルの眺め》は、実は埼玉県立近代美術館の正式な所蔵品ではなく、丸沼芸術の森から寄託された一作。とはいえ、同館のコレクション展などで展示されることもあり、ファンなら見逃せない一枚です。
ひと目見ただけでは、あの“印象派のモネ”とは結びつかないかもしれません。ですが、左下にはしっかりと「O. Monet」のサイン。これはモネが17歳のときに描いた初期作品で、本名「オスカー=クロード・モネ」の頭文字を使っていた時代のものです。
ブーダンとの出会い
フランスの港町ル・アーヴルで生まれたモネは、子どもの頃から絵が得意で、風刺画を描いて売るほどの腕前でした。そんな彼に転機を与えたのが、15歳年上の風景画家ウジェーヌ・ブーダン。彼はモネをルエルの森に連れ出し、戸外で絵を描くプレネール(野外制作)の楽しさを教えました。
《ルエルの眺め》は、そのとき描かれた作品のひとつ。のちのモネの代名詞となる“光”や“空気”への感覚は、すでにこの一枚にも息づいています。くっきりとした輪郭、穏やかな色彩、そして丁寧に描かれた木々や水面──風景画としても、すでにかなり完成度の高い仕上がりです。
初期モネの作品はとても希少で、美術史的にも重要な位置を占めています。まだ“印象派の旗手”になる前の、ひとりの若者が見た風景が、そこにあります。

カミーユ・コロー
《エラニーの牛を追う娘》(1884年)

作品解説(クリックまたはタッチ)

印象派の“お父さん”ピサロ
カミーユ・ピサロは、フランス印象派の“まとめ役”として知られる存在。仲間内で何かと衝突の多かった印象派グループの中で、みんなから慕われていた人物です。
全8回にわたる「印象派展」すべてに出品した、唯一の画家でもあります。
そんなピサロのすごさは、時代に合わせて自分の画風を柔軟に変えていったこと。
ジョルジュ・スーラら新印象派が台頭してきたときも、20歳以上年下の彼らの考えに耳を傾け、独自の点描技法を自身の絵に取り入れていきました。
エラニーでの静かな暮らし
この《エラニーの牛を追う娘》は、ピサロが新印象派と本格的に交流する少し前、1884年に描かれた作品です。場所はパリの北西にあるエラニー=シュル=エプト村。ピサロはこの年にエラニーへ移住し、亡くなるまでこの地に住み続けました。
この絵には、点描的な技法はまだ見られませんが、筆づかいはすでに細かく、自然の光の反射を繊細にとらえようとしています。
画面には、草原に伸びる少女と子牛の影。夕暮れの光がゆっくりと差し込み、時間の流れまでもが可視化されているようです。
このあとピサロは、スーラたちとの交流を通じて点描を取り入れ、筆致はさらに規則的で密度の高いものへと進化していきますが、この作品には、技法以上にピサロの「エラニーへの愛情」がにじんでいるように感じられます。
場所を移し、描くスタイルを変えても、ピサロがずっと見つめていたのは“人と自然が共にある風景”。
この一枚からは、そのまなざしのやさしさが静かに伝わってきます。

画像:by Nabil Molinari
モーリス・ドニ
《トレストリニェルの岩場》(1920年)

作品解説

家族と過ごす、ブルターニュの海
ナビ派の画家として知られるモーリス・ドニは、フランス・ブルターニュ地方のペロス=ギレックに別荘を持ち、家族や友人とともにその風景を楽しんでいました。
この《トレストリニェルの岩場》は、その近くにあるトレストリニェル海岸を描いたもの。岩と岩のあいだを波がゆるやかに洗い、岸辺では人々がのんびりと時間を過ごしています。カラフルな色づかいはないけれど、その分、ゆったりとした空気感や、家族と過ごす穏やかなひとときへのまなざしが感じられます。
平面性と日本美術──ドニらしい表現
ドニはポール・ゴーギャンの「綜合主義(Synthétisme)」に影響を受けて、絵画の“平面性”や“装飾性”をとても大切にしていました。
この作品にもその特徴がしっかり出ています。輪郭線でかたちをくっきりと区切り、全体は派手な色を使わず、中間色を中心にまとめられています。それでも、色面同士がうまく響き合って、穏やかで深みのある画面に仕上がっています。
さらに、当時のヨーロッパ画壇で広まっていたジャポニスム(日本美術ブーム)の影響も見逃せません。ドニ自身も日本美術に強い関心を持っており、この作品の左側、岩に砕ける波の描写には、葛飾北斎《神奈川沖浪裏》を思わせるようなリズムと動きが感じられます。

斎藤 豊作(さいとう とよさく)
《初冬の朝》(1914年)

作品解説
埼玉ご当地の画家
斎藤豊作(1880–1951)は、埼玉県越谷市出身の洋画家。東京美術学校(現在の東京藝術大学)で黒田清輝に学び、卒業後はフランスへ渡ってラファエル・コランのもとで研鑽を積みました。1912年に帰国すると、1914年には有島生馬や梅原龍三郎らとともに「二科会」を創設。日本近代洋画の発展に大きく貢献したひとりです。
その年の第1回二科展に出品されたのが、この《初冬の朝》。
フランス滞在中に訪れたブルターニュ地方の風景を思い出しながら描いたといわれています。
印象派の影響と、日本的なまなざし
描かれているのは、どこか冷たい空気をまとった静かな朝の川辺。
筆致は繊細で、光の揺らぎや色の移ろいが丁寧に表現されていて、フランス印象派の影響を色濃く感じられます。とくに、色を小さなタッチで分けて重ねる「筆触分割(ひっしょくぶんかつ)」や「点描」に近い技法は軽快かつ緻密。さすが印象派の“本場”仕込みといえます。
とはいえ、全体の印象はフランス印象派そのものとは少し違います。斎藤は物の輪郭を比較的はっきりと描いていて、どこか構築的。ぼかしきらないことで、風景の中にある静けさや凛とした空気をしっかりと留めています。
また、構図も見どころのひとつ。画面いっぱいに広がる横長の構成と、奥へと続く蛇行する川のラインが、視線を自然と引き込みます。さらに前景の紅葉がアクセントになって、全体を引き締めつつ、冬の冷たさの中にふわっとした温かみを添えています。
冬の朝。寒いけど、どこかほっとする。
この《初冬の朝》には、自然の中にある静けさと美しさ、そしてそれを確かな筆で描ききる斎藤豊作の力が、しっかりと詰まっています。
斎藤 豊作
《装飾画(蓮と鯉Ⅰ)》(1941年)

作品解説
戦時下で描かれた、静かな水の世界
1920年、斎藤豊作は再びフランスへ渡ります。
サルト地方の古城に住み、以後日本に戻ることはありませんでした。画壇ともほとんど関わらず、ひとり静かに制作を続けたその暮らしぶりは、少し不思議で、でもどこか信念を感じさせるものがあります。
そんな“隠遁生活”のなかでも、彼は黙々と絵を描き続けました。
第2次世界大戦中、ドイツ軍のパリ侵攻を前にして、斎藤は城を離れ、南西フランスのドルドーニュ地方へ避難します。《装飾画(蓮と鯉Ⅰ)》は、その避難中に生まれた作品です。
印象派を離れ、色と形の世界へ
この作品では、かつての《初冬の朝》に見られたような点描や筆触分割といった印象派的な技法はあまり見られません。そのかわり、平面的な構成や装飾性が前面に出ていて、まるで日本画のような洗練された印象を受けます。
画面中央には赤や黄の鯉がゆったりと泳ぎ、色面のリズムが水の揺らぎを表現。周囲に広がる蓮の葉や花は、淡くやさしい色合いでまとめられていて、全体に穏やかで調和のとれた雰囲気を生み出しています。
けれど、よく見ると蛍光色に近いピンクや黄色、青といった強めの色も、ところどころに効かせてあって、それが画面にちょっとした遊び心やリズムを加えています。ここに、斎藤の色彩センスの鋭さがしっかりと現れています。
流行や美術界の潮流から距離を置き、フランスの田舎でひとり描き続けた斎藤豊作。
外の世界がどんなに不安定であっても、自分の「美」の世界を守り抜いた画家の強さと静けさが、作品の中からじんわりと伝わってきます。
まとめ「世界の名画と、埼玉の才能が出会う場所」

埼玉県立近代美術館(MOMAS)は、北浦和公園の中にひっそり佇む静かな美術館。
フランス印象派から日本近代洋画、そして地元ゆかりの作家まで、落ち着いた空間でじっくり楽しめます。
中でも印象的なのが、世界的な名画と埼玉の画家の作品が、ひとつのコレクションとして収められているという点。
たとえば、モネ17歳の初期作《ルエルの眺め》。印象派へと向かう前の、風景に対するまっすぐなまなざしが感じられる貴重な一枚です。そんな世界的な作品がある一方で、埼玉出身の斎藤豊作など、地元作家による知られざる名作も多数収蔵されています。
このように、世界の名作と地元の才能が、対等に並んでいること。それこそが、埼玉県立近代美術館の最大の魅力です。
“有名だから”でも“地元だから”でもなく、「この絵、いいな」と思える出会いが、ふいに訪れる──そんな場所なんです。
アートに詳しくなくても、知らない名前ばかりでも、大丈夫。
ここでは、知識よりも“感じること”がちゃんと許されている。
そんな懐の深さが、埼玉県立近代美術館にはあります。
埼玉県立近代美術館の基本情報
所在地:埼玉県さいたま市浦和区常盤9丁目30−1
アクセス | JR北浦和駅西口より徒歩3分 |
料金 | 【コレクション展】一般:\200(200) 高・大学生:\100(60) 中学生以下:無料 障碍者手帳等※の所持者および付き添い1名:無料(括弧内は団体料金→20名以上から) ※:具体的な対象者、必要書類については県条例参照→埼玉県HP「障害者の利用に係る公の施設の使用料及び利用料金の減免に関する条例」 |
開館時間 | 10:00~17:30(最終入館は17:00) |
休館日 | 月曜日(祝日または県民の日の場合は開館) 年末年始、メンテナンス日 |
北浦和公園
埼玉県立近代美術館は北浦和公園の中にあります。園内の噴水は「音楽噴水」と呼ばれており、毎日10時から20時までの間の2時間おきに10分間の音楽が流され、噴水がそれに合わせて踊る仕組みになっています。
時間が合えば是非みてみてください。
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