金刀比羅宮「高橋由一館」とは?アクセス・見どころ・周辺スポットまで徹底ガイド

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「高橋由一館」って?

香川県琴平町にある金刀比羅宮(ことひらぐう)は、「こんぴらさん」の愛称で親しまれている山の中腹の神社。その境内には、ちょっと意外なスポットがあります。「高橋由一館」という、小さな美術館です。

展示されているのは、日本の洋画の草分け・高橋由一による油彩画27点。由緒ある神社の敷地に、なぜ明治の画家の作品が?と思うかもしれませんが、そこには少し面白い背景があります。

ちなみにこの高橋由一館、金刀比羅宮の本宮まで続く785段の石段のちょうど中腹あたり、400段目付近にあります。本宮までは行かなくても、なかなかの運動量になるので、訪れるならスニーカーなど歩きやすい靴がマストです。



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目次

高橋由一てどんな人?|金刀比羅宮との関係

高橋由一(たかはし ゆいち、1828~1894)

高橋由一は、江戸時代の終わりに生まれて、明治の頃に活躍した日本洋画のパイオニアです。ペリーがやってきて世の中がガラッと変わっていく中、幕府が立ち上げた「洋書調所(ようしょしらべしょ)」っていう研究機関で、西洋画の技術を本気で学びました。

1873年にはウィーン万博に絵を出品して、一気に名前が知られるように。その勢いで、同じ年に自分の画塾「天絵社(てんかいしゃ)」を立ち上げます。有名な《鮭図》もこの頃の作品。写実的でリアルな油絵をどんどん描いていきました。

笠間日動美術館蔵
《鮭図》

画塾をもっと大きくしたいと思った由一、しかし、そこでぶつかったのが資金の壁でした。

その時に頼ったのが、当時の金刀比羅宮の宮司だった深見速雄(ふかみ・はやお)。
由一は「作品を奉納するから、支援してもらえませんか?」という形で交渉し、話がまとまります。

現在、高橋由一館に並んでいる絵の多くは、まさにそのとき奉納されたものなんです。



所蔵作品紹介

《鯛図》(1879年)

油彩、麻布、45.0×60.2cm
作品解説(クリックまたはタッチ)

金刀比羅宮に残る由一作品のなかでも、目を引く一枚がこの《鯛図》。

由一が実際に琴平町に滞在していた1880年の年末から翌年1月中旬ごろに奉納されたと伝えられています。

モチーフになっているのは、鯛や伊勢海老といった、お正月やお祝いごとに欠かせない「めでたい」食材たち。縁起物をモチーフに選んでいるあたり、奉納用として描かれたことがよくわかります。

由一は、実はもともと狩野派の絵師だったこともあり、もともと絵の才能にはかなり恵まれていました。この《鯛図》でも、魚の質感や形をリアルにとらえた正確な描写が光ります。

とくに注目したいのは、その描き込みの細かさ。鱗一枚一枚が丁寧に描かれていて、背びれのトゲトゲ感や、エラの細かい構造までしっかり表現されています。背景が暗く抑えられている分、魚の赤や白の色味がパッと浮かび上がって、画面全体の存在感がぐっと増しています。

見れば見るほど、その丁寧な描写に感心する一作。ぜひ現地でじっくり鑑賞してほしいです。


《豆腐》(1877年)

油彩、麻布、32.8×45.2cm
作品解説(クリックまたはタッチ)

タイトルそのまんま、《豆腐》。
まな板の上に、豆腐、厚揚げ、油揚げがきっちり整列。なんてことない日常の一コマを切り取った、シンプルすぎる静物画です。

しかし、この“普通すぎる”モチーフを、見事にアートとして成立させてしまうのが高橋由一のすごさ。形こそ地味だけど、それぞれ微妙に違う大豆製品を真正面から描き切る。完全に描写力一本勝負。画力だけで勝負しようとする潔さが気持ちいい作品です。

とくに注目したいのが、質感の描き分け。厚揚げや油揚げは、焼き目の香ばしさまで感じられそうなリアルさ。表面のザラっとした感じは手に取れるようです。そして主役(?)の豆腐。弾力性はありそうですが、よーく見るとシワっぽさがあって、「木綿豆腐?描いているうちに水が抜けたのか?」って想像が膨らみます。

一方で、光や陰影の表現はそこまで強くなくて、画面全体はちょっと平面的。でもそれも当時の油彩画がまだ発展途上だったことを考えると、むしろリアルな“時代感”として味わえます。

身近すぎるモチーフをここまで丁寧に描いて、「これも立派な美術なんだ」と見せつけるような一枚。由一の「どんなものだって、ちゃんと描けば作品になるんだ」っていう美術に対するまっすぐな姿勢がにじみ出ています。


《琴陵宥常像(ことおかひろつねぞう)》(1881年)

油彩、麻布、64.4×56.8cm
作品解説(クリックまたはタッチ)

金刀比羅宮のちょっと複雑な歴史を語るうえで欠かせない人物が、琴陵宥常(ことおか ひろつね)。この絵のモデルとなった人物です。

明治初期、神仏分離や廃仏毀釈の流れのなかで、金刀比羅宮はかつての寺院的な姿から、神社としての再編が進みます。宥常はもともと住職でしたが、制度変更の影響で名前を仏教風の「宥常(ゆうじょう)」から神職風の「琴陵宥常(ことおか ひろつね)」に改めます。ただし、宮司のポストには就けず、代わって鹿児島からやってきた深見速雄がその役に。ちょっと切ない転機です。

そんな宥常の姿を、高橋由一が金刀比羅宮に滞在していた1880年末〜翌年初頭にかけて直接モデルにして描いたのが本作。由一が描く肖像画は写真をもとに描かれたものが多いのですが、これは本人を前にして描いた貴重な一枚です。


まず目を引くのが、色使いの渋さ。背景と着物、どちらも深い紺色でまとめられていて、パッと見は地味。
でもこの抑えたトーンが、宥常の誠実さや落ち着きをじんわり引き立てていて、見れば見るほど味わい深い。外見だけじゃなく、内面まで表現されているような印象です。

顔の表情や着物の質感も細かく描かれていて、由一の丁寧さが光る作品です。ただし、光と影の処理がやや曖昧なので、若干平面的に見える部分も。しかしそれが逆に、日本画っぽい“静けさ”や“奥ゆかしさ”を感じさせてくれます。

近代画家の岸田劉生が、日本の絵がもつ特有の生々しさや神秘性を「でろり」と形容したことがありますが、この《琴陵宥常像》にも、それに近い雰囲気があります。ぜひその静かな深みを、じっくり味わってみてください。


《屋上月》(1878年)

油彩、紙、33.3×46.7cm
作品解説(クリックまたはタッチ)

月夜の町並みを静かに描いた一枚、《屋上月》。

夜の風景を描いた油彩画といえば、ファン・ゴッホの《夜のカフェ・テラス》(1888年)が有名ですが、なんとこの《屋上月》はそれより10年も早い1878年に描かれた作品なんです。そう考えると、けっこう“元祖・夜景油彩”みたいな立ち位置かもしれません。

ゴッホが荒々しい筆づかいとビビッドな色で夜を表現したのに対して、由一の夜はとても静かで、穏やか。月明かりのまわりの空は、グラデーションでやわらかくぼかされていますが、そのほかは平面的でどこか日本画的な“余白”を感じさせます。

ちなみに当時はまだガス灯が普及していない時代。なのに、建物の白壁がふわっと光を受けているように明るく見えるのは不思議ですよね。これはきっと、実際の見た目そのままではなく、由一が画面全体を“作品としての構成”で整理しながら描いている証拠。

つまり、リアルを追いかけながらも、自分の中で「絵として美しく成立させる」ことを大事にしていたということ。静かな夜の空気感と、由一の構成力がしっかり伝わる一枚です。

フィンセント・ファン・ゴッホ作
《夜のカフェテラス》


《月下隅田川》(1878年)

油彩、麻布(小襖仕立、二面)、23.6×66.2cm
作品解説(クリックまたはタッチ)

こちらも月夜を描いた一枚、《月下隅田川》。

実はこの作品、金刀比羅宮崇敬講社本部の袋戸棚(ふくろとだな)に仕込まれた小さな襖絵として描かれたもの。つまり、もともとは“家具の一部”として作られたという、ちょっと珍しい背景を持っています。


使われている色は、青灰色にところどころ黄色という、とてもシンプルな配色。構図もフラットで控えめ。
「画家の個性を炸裂!」というよりは、「暮らしの中にそっと馴染む絵」といった雰囲気で、まさに“家財のための美”といえそうです。

とはいえ、この作品にはただの“背景美術”で終わらせない魅力があります。

空気感の描写が驚くほどやわらかく、まるでモネやピサロを思わせるような淡くにじむ印象派的な空気が漂っています。水面に反射する月明かりのぼんやりした光の表現なんて、しばらく見ていたくなるほど。
「写実」よりも「装飾」。そんな方向性が見えるあたり、写実主義を貫いた由一の作品の中では、ちょっと異色かもしれません。


しかもこの作品が描かれたのは1878年。
日本ではまだ「印象派」という言葉すら知られておらず、フランスでもようやくそのスタイルがかたちになり始めた頃です。

そんな時代に、由一がこの“印象派っぽさ”をすでに絵にしていたという事実。これは見逃せません。

浮世絵をはじめとする日本の絵画が、印象派の画家たちに強い影響を与えたのは、今ではよく知られた話です。
一方で、日本近代洋画にみられる“印象派っぽさ”は、多くがフランスの印象派から影響を受けたものでした。

でもこの作品は違います。
日本画の知識を基礎に、外国の影響を受けずに生み出されたこの絵は、まさにこう呼びたくなります。

日本で育った、純度100%の“印象派”。


“家具の一部”として描かれた作品が、まさかの時代を先取りしたものだったなんて!
もう、たまらなく面白いですよね。

高橋由一「月下隅田川」左
高橋由一「月下隅田川」右
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高橋由一館の基本情報

所在:香川県仲多度郡琴平町892-1


金刀比羅宮の周辺スポット

金刀比羅本宮前

表書院(おもてしょいん)

高橋由一館から少し上がったところにある「表書院」は、17世紀中ごろに建てられた歴史ある建物。もともとは参拝者を迎える客殿だったそうで、今は重要文化財にも指定されています。

見どころはなんといっても、円山応挙による障壁画
応挙以外にも、明治の画家・邨田丹陵や森寛斎の作品もあって、美術好きにはたまらない空間です。

鑑賞の合間にちょっと階段を上るだけ。
由一館とセットでどうぞ。

表書院障壁画「瀑布図」

宝物館(ほうもつかん)

由一館から少し下ったところにあるのが「宝物館」。1905年に建てられた和洋折衷の建物で、石造りの重厚な外観も見どころのひとつです。

中には、金刀比羅宮に奉納された数々の宝物がずらり。
たとえば、重要文化財の「十一面観音立像」とか、祭りの様子を描いた屏風絵など、どれも歴史とアートのエッセンスがぎっしり詰まってます。

外観も中身も見応え十分。由一の油彩と一緒に、神社の美の深さを感じてみてください。


奥社・厳魂神社(いづたまじんじゃ)

本宮(785段)を超えて、さらに石段を上ること約583段。合計1368段の先にあるのが「厳魂神社(いづたまじんじゃ)」です。

ここまで来ると、正直ちょっとした登山。でも、がんばって上りきった先には、見渡す限りの絶景が待っています。空と山と街と海、全部が見える感動のビュー。

体力が許すなら、ぜひチャレンジを。スニーカーと水分は忘れずに!

奥社からの眺め


おわりに:油彩と階段と、ちょっと不思議な文化体験。

高橋由一——日本で初めて本格的に油彩を描いた画家。
そんな彼の作品を、まさか金刀比羅宮の境内で観られるとは…と、驚く人も多いかもしれません。

でも実は、由一と金刀比羅宮はちゃんと“つながって”いて、彼の創作と挑戦の歴史が、ここ琴平の地にも静かに息づいているんです。

しかもその途中には、応挙の障壁画や明治の宝物、美しい神社建築、そして絶景を味わえる奥社までついてくるという、カルチャー満載のご利益コース。

石段はなかなか手ごわいけど、それを登った先には、時間を超えて残されたアートや景色が待っています。

金刀比羅宮、高橋由一館、そしてその周辺――
「こんぴらさん」は、ただの観光地じゃありません。
日本の近代美術と伝統が、不思議と溶け合った“体験型の美術館”みたいな場所です。

もし少しでも興味を持ったなら、ぜひ歩きやすい靴で、ふらっと登ってみてください。
階段の数だけ、多くの発見がありますよ。


参考文献

・芳賀徹「絵画の領分 近代日本比較文化史研究」朝日新聞社 1990年10月20日発行
・歌田眞介「高橋由一作品集」金刀比羅宮 2019年

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