長崎県美術館について

長崎県美術館は、2005年4月に開館した美術館で、長崎市の「長崎水辺の森公園」の一角に位置しています。建築家・隈研吾氏がデザインしたモダンな建物で、運河をまたぐ形で建設されており、美術館棟とギャラリー棟が2階のガラス張りの回廊で結ばれています。この回廊にはカフェがあり、美術鑑賞の合間に運河や長崎の風景を眺めながらくつろぐことができます。
また、屋上には芝を植栽したうえ、彫刻作品を展示しています。こちらには美術館の内外からアクセス可能となっており、自由に出入りが可能です。美術鑑賞の合間に長崎港や稲佐山を眺めて一息入れましょう。

長崎県美術館とスペイン美術
長崎県美術館の収蔵品は、長崎ゆかりの美術作品とスペイン美術が中心です。特に、外交官・須磨弥吉郎氏の寄贈による「須磨コレクション」を基にしたスペイン美術のコレクションは、アジアでも有数の規模を誇ります。
須磨コレクション

須磨コレクションを築いた須磨弥吉郎は、戦前に外交官として活躍し、外務省情報部長やスペイン駐箚特命全権公使を歴任しました。また、内閣情報部の設立にも関与し、政権中枢において重要な役割を果たしていました(一説にはスパイだったとも言われています)。
幼いころから美術に関心を持っていた須磨は、スペインでの公務を通じて同国の美術に魅了され、本格的な作品収集を開始します。在任中に集めた美術品は1700点以上にも及び、絵画や彫刻、工芸品など、多岐にわたるコレクションを築き上げました。
しかし、戦後、須磨はA級戦犯に指定され、その影響で収集した作品の大半をスペイン国外へ持ち出すことができなくなります。その後、須磨の戦犯容疑は晴れ、返還交渉の末にコレクションの一部を取り戻すことに成功し、コレクションのうちの501点が長崎県美術館に収蔵され、現在に至っています。
ちなみに残りの1200点以上の須磨コレクションは所在不明で、現在もスペイン国内にとどまっていると考えられており、その行方を巡っては研究や調査が続けられています。
所蔵作品紹介
日本国内の西洋美術コレクションといえば、国立西洋美術館の松方コレクションや、大原美術館の大原孫三郎によるコレクションなど、近代以降の作品を代表するものが広く知られています。長崎県美術館の須磨コレクションも、西洋美術を中心とした貴重な作品群ですが、その最大の特徴はスペイン美術に特化している点にあります。
須磨コレクションでは、15世紀の作者不詳の宗教画から、近現代に活躍したピカソやミロ(著作権の関係で詳細な紹介はできませんが)といった巨匠の作品まで、スペイン美術の流れを通史的に鑑賞できるのが魅力です。これほどまとまったスペイン美術のコレクションを所蔵する美術館は、日本国内では非常に珍しく、須磨弥吉郎の収集活動の成果が存分に発揮されています。
今回は所蔵品の一部を年代順に紹介していきます。スペインの歴史を振り返りながら作品を見ていきましょう。
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作者不詳(アラゴンあるいはカタルーニャ派)
『聖ステパノ』(15世紀末)

作品解説
聖ステパノは、キリスト教で「最初の殉教者」とされる人物です。新約聖書『使徒言行録』によれば、ユダヤ教を批判したことが原因で石打ちの刑に処され殉教しました。そのため、多くの聖ステパノを描いた作品では、石が重要な象徴として取り入れられています。本作でも彼の右手に石が描かれており、左手には殉教者の普遍的な象徴である棕櫚(ヤシの葉)が握られています。
この作品が描かれた15世紀末から16世紀初頭のスペインでは、宗教画が教会の祭壇衝立の一部として制作されることが一般的でした。その目的は、信仰の対象である聖人を敬い、彼らの物語を視覚的に伝えることにありました。この作品も、祭壇衝立の一部であった可能性が高く、両隣には聖ステパノの生涯や殉教にまつわる場面が描かれた作品が配置されていたと考えられます。
15世紀のスペインでは、遠近感や写実性を特徴としたフランドル美術が流入し、スペインの画家に大きな影響を与えた時期でもありました。本作にもその影響が見られ、床のパースペクティブ(遠近法)の表現や、聖ステパノの衣服、顔の細部に至るまでの緻密な描写は、作者の技術的な工夫と立体感を追求する姿勢を示しています。
そのため本作は、イスパノ・フラメンコ様式の典型的な例の一つと言えるでしょう。この様式は、スペイン独自の宗教的感性とフランドル美術の技術が融合したもので、15世紀末から16世紀初頭にかけてのスペイン美術の特質をよく表しています。
作者不詳(スペイン)
『この人を見よ』(16世紀第4四半期)

作品解説
「この人を見よ」とは、ラテン語で Ecce Homo(エッケ・ホモ)と言い、イエス・キリストの受難の場面を指します。この言葉は、新約聖書『ヨハネによる福音書』(19章5節)で、総督ポンティウス・ピラトが、鞭打たれ荊の冠をかぶったイエスを群衆に示した際に発した言葉に由来します。「この人を見よ」というフレーズには象徴的な意味があり、観る者にキリストの受難を直視し、その苦しみを通して救済の意義を深く考えさせるものです。
この場面は美術史においても重要なテーマで、特に中世からルネサンス、バロック期を通じて多くの画家たちに取り上げられました。本作もその一例であり、15世紀の作品に比べて、写実的かつドラマティックな描写が特徴的です。人物の表情や身体表現を通じて、キリストの苦悩や人間的な側面が強調されています。
16世紀後半のスペインでは、対抗宗教改革(カウンター・リフォーメーション)の影響を受け、宗教画が特に重要視されました。この時期、聖母子像やキリストの受難、ピエタなど、信仰を促す明快なテーマが好まれ、民衆に理解しやすく描くことが画家たちに求められました。本作の「この人を見よ」も、その要請に応える作品の一つと言えます。対抗宗教改革の理念に基づき、感情に訴えかける劇的な表現や写実的な描写が取り入れられており、観る者に強い印象を与えます。
作者不詳(セビーリャ派)
『パオラの聖フランチェスコ』(17世紀後半頃)

作品解説
16世紀後半から17世紀全般にかけて、スペインは「黄金世紀(シグロ・デ・オロ)」と呼ばれる芸術と文化の隆盛期を迎えました。この時代には、エル・グレコ、フランシスコ・パチェーコ、ディエゴ・ベラスケスといった巨匠たちが活躍し、スペイン美術の礎を築きました。特に、バロック期のスペイン絵画は、強い写実性と劇的な明暗対比(キアロスクーロ)の表現を特徴としており、宗教的な荘厳さを際立たせる役割を果たしました。
スペイン・バロック美術の中心地の一つがセビーリャです。この地では、先述のベラスケスをはじめ、フランシスコ・デ・スルバラン、バルトロメ・エステバン・ムリーリョなどの画家が活躍し、宗教画の発展に大きく貢献しました。本作『パオラの聖フランチェスコ』の作者も「セビーリャ派」に属すると考えられており、セビーリャ派の特徴を色濃く受け継いだ作品となっています。
17世紀においても宗教画は依然として重要なジャンルであり、本作もその流れを汲んでいます。 描かれているのは、イタリア出身の修道士であり、ミニムス修道会の創立者である聖フランチェスコ・ディ・パオラです。彼は禁欲的な生活を送り、多くの奇跡を起こしたと伝えられています。伝説によれば、外套に乗ってメッシーナ海峡を渡ったとされ、また、労働者に食べられてしまった愛羊マルティネロを、炉に捨てられた骨に呼びかけることで蘇らせたとも言われています。
これらの逸話は、本作の背景にも描かれており、聖フランチェスコの霊的な神の加護を示唆しています。こうした構成は、質素なマントを着た隠修士として描かれた聖フランチェスコの崇高さを物語っており、観る者に敬虔な感情を抱かせます。
作者不詳(スペイン)
『女と少年のいるボデゴン』(17世紀)

作品解説
「ボデゴン」とは、スペイン語の bodega(食料貯蔵庫)に由来する言葉で、食料や狩猟肉、飲み物などが置かれた貯蔵室の様子を描いた静物画を指します。ボデゴンは17世紀第2四半期頃から流行し、貴族の間でも人気を博しました。
一般的に静物画というと、フランドル地方の作品に見られるような、豊富な果物や豪華な食卓を思い浮かべるかもしれません(下図参照)。しかし、スペインのボデゴンは、それらに比べて質素であり、本作のように狩猟の獲物の皮を剥ぐ場面など、日常の労働や素朴な食材を主題とすることが多いのが特徴です。この背景には、厳格なカトリックの教えに基づく「禁欲」や「質素倹約」といった宗教的価値観の影響が強く反映されていると考えられます。

『風景の中の静物』(17世紀)
ミゲル・ハシント・メレンデス(?)
『フェリペ5世』(1708~1715年頃)

作品解説
1700年にカルロス2世が亡くなると、スペイン王位はブルボン家へと引き継がれ、その最初の国王として即位したのがフェリペ5世でした。フランスにルーツを持つフェリペ5世は、宮廷文化にフランスの影響を強く反映させ、多くのフランス人画家を宮廷画家として招きました。そのため、スペイン人画家が宮廷に仕えることは稀でした。しかし、ミゲル・ハシント・メレンデス(Miguel Jacinto Meléndez, 1679~1734)はその例外として、数少ないスペイン人宮廷画家の一人となりました。
本作『フェリペ5世』は、フェリペ5世が20代後半から30代前半の頃に描かれた肖像画と考えられています。滑らかな肌の質感や髪の細やかな描写、甲冑の輝きなどが丁寧に表現されており、16世紀以前のスペイン絵画と比べて華やかで洗練された様式が見られます。これは、メレンデスが宮廷画家に抜擢される過程でフランス宮廷美術の影響を受けたことを示唆しています。
しかし本作は、1712年にメレンデスによって描かれたセラルボ美術館所蔵の『フェリペ5世』と顔立ちが似ているものの、構図のとり方やそのほかの細部(特に右手の描き方)にやや稚拙な部分が見られます。そのため、本作はメレンデス自身の手によるものではなく、彼の工房で制作された作品である可能性も指摘されています。

「狩猟衣装を着たフェリペ5世」(1712年)
ルイ=ミシェル・ヴァン・ローと工房
『フェルナンド6世』『王妃バルバラ』(18世紀)


作品解説
フェルナンド6世はフェリペ5世の四男で、1746年から1759年まで王位に就き、海軍の増強やインフラの整備、財政改革を行い、衰退したスペインの国力回復に努めました。また、後にピカソやダリが在籍することになる王立サン・フェルナンド美術アカデミーの創設するなど、芸術文化の振興にも大きく貢献しました。しかし、晩年には最愛の王妃バルバラを失ったことで精神的に不安定となり、45歳の若さで崩御しました。
この2作品は近年まで、作品の下部にある署名からアントン・ラファエル・メングスという新古典主義の画家の作品であるとされていました。しかし、メングスがスペイン宮廷画家として迎えられたのは、フェルナンド6世と王妃バルバラの死後であり、この attribution(帰属)には矛盾が生じていました。現在では、マドリード王宮に所蔵されている「フェルナンド6世」の肖像画と構図が一致することから、本作品の作者もルイ=ミシェル・ヴァン・ロー(Louis-Michel van Loo, 1707-1771)であると考えられています。
本作はマドリード王宮版と比べて、フェルナンド6世の顔の特徴が若干和らいでいることから、レプリカである可能性が指摘されています。そのため本作は、ヴァン・ローの工房作ともされていますが、人体の描写や構図、ディテールの精緻な描き込みからは、単なる弟子の模写とは考えにくいほどの完成度の高さがうかがえます。したがって、本作はたとえ工房作であったとしても、ヴァン・ロー自身が大きく関与し、手を加えていた可能性が高いと推測されます。

ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー作「フェルナンド6世の肖像画」
フランシスコ・デ・ゴヤ
『戦争の惨禍』(1810~1820年)
作品解説
フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya, 1746~1828)は、18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍したスペインを代表する画家であり、美術史においても極めて重要な存在とされています。彼について語る際にしばしば用いられるのが、「最後のオールドマスターにして、最初のモダニズムの巨匠」という表現です。
ゴヤ以前のスペイン絵画は、宗教画や宮廷画を中心に発展していました。絵画は王侯貴族や教会の権威を示すためのものとして機能し、主題や様式は長く伝統に則ったものでした。ゴヤは宮廷画家としてロココ風の煌びやかな絵を描く一方、そうした枠組みから脱し、絵画を単なる装飾や権威の象徴ではなく、個人の視点や社会の現実を映し出す手段へと昇華させました。一般的に「モダニズム」は印象派以降の芸術運動を指すことが多いですが、ゴヤはすでにそれ以前の段階で、伝統を打破し、芸術の新たな可能性を切り拓いていたと言えます。
その「モダニズム」の精神を先取りした代表作の一つが『戦争の惨禍』です。この作品群は、1808年から1814年にかけてのスペイン独立戦争での悲劇を描いたもので、英雄譚としての戦争画とは一線を画しています。ゴヤがここで描いたのは、戦争の栄光ではなく、暴力の犠牲となる市民たちの悲惨な姿でした。スライドには比較的穏やかな場面を選んでいますが、シリーズの中には極めて生々しい描写も含まれており、目を背けたくなるほどの戦争の残虐さが表現されています。
興味深いことに、ゴヤはこの『戦争の惨禍』を生前に公表しませんでした。それは、敵国であるフランスのみならず、戦後に復活したブルボン王朝に対する批判も含まれていたためと考えられています。結果的に、この作品群が公に発表されたのはゴヤの死後、1863年のことでした。発表当時、スペイン独立戦争からは半世紀近くが経過していましたが、その生々しいリアリズムは人々に強烈な印象を与え、戦争画の概念そのものを覆すものとなりました。ゴヤの『戦争の惨禍』は、単なる歴史の記録ではなく、戦争の本質を告発する芸術の力を示した作品であり、その精神は後世の芸術にも大きな影響を与えました。
マリアノ・フォルトゥーニ
『風景』(19世紀後半)

作品解説
19世紀前半、フランシスコ・デ・ゴヤの革新的な画風は、後のスペイン絵画に大きな影響を与え、アカデミー絵画に対抗するスペイン・ロマン主義の流れを生み出しました。その中心的な画家のひとりがマリアノ・フォルトゥーニ(Mariano Fortuny, 1838~1874)です。フォルトゥーニはオリエンタリズム的な主題を取り入れたロマン主義的な作品で知られていますが、本作のような風景画にも優れた手腕を発揮しました。
18世紀以前のスペイン絵画では、宗教画や王室のための歴史画が主流を占め、風景画は美術の序列の中で低く位置づけられていました。しかし、19世紀に入りロマン主義の台頭とともに自然への関心が高まり、風景画が次第に評価を得るようになります。フォルトゥーニもその潮流の中で風景を積極的に描くようになりました。
本作『風景』は、1870年から2年間にわたりスペインのグラナダに滞在していた際に制作されたと考えられています。陽光に包まれた町の一角が捉えられ、画面を大きく占める空の表現が印象的です。下地を活かした薄塗りの絵具と、部分的に施された繊細な筆致によって、何気ない街角の雰囲気が見事に描き出されています。
本作の粗めの筆致は、同時代のフランス印象派を彷彿とさせますが、縦長の構図と空の広がりを強調した画面構成には、単なる風景描写を超えた画家の意図が感じられます。フォルトゥーニがこの場所を初めて訪れたのかは定かではありませんが、画面全体からは彼の土地への愛着や親しみが伝わってきます。まるで日常の中にある美を静かに讃えるかのような、詩的な風景画といえるでしょう。
ホセ・グティエレス・ソラーナ
『軽業師たち』(1930年)
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作品解説
20世紀に入ると、スペイン絵画は多様な発展を遂げました。ピカソやダリがパリでキュビスムやシュルレアリスムといった革新的な画派を築いた一方で、国内では独自の画風を追求する画家たちも存在しました。そのひとりが、ホセ・グティエレス・ソラーナ(José Gutiérrez-Solana, 1886~1945)です。
本作『軽業師たち』は、サーカスの道化師を描いた作品と思われます。背景にはストライプ模様が施され、装飾的な華やかさを見せる一方で、描かれた人物たちは無表情のまま淡々と芸を披露しており、どこか不気味な雰囲気が漂っています。
ソラーナは、蝋人形や仮面を被った人物を題材にした作品を多く残しており、本作にもその特徴が色濃く表れています。彼の作品に共通するのは、登場人物たちの無機質な表情と、人間味を感じさせない異様な空気感です。彼がこうした作風を通じて何を意図したのかは明確には分かりませんが、不穏な静けさが支配する画面は、戦争や内戦によって不安定だった当時のスペイン社会の影を想起させます。
所蔵作品は常設展示室で公開されていますが、展示作品は随時展示替えされているので、美術館を訪れる際にはHP等で確認する必要があります。→長崎県美術館HP
おわりに
今回は、長崎県美術館が所蔵するスペイン絵画を、年代順にいくつかご紹介しました。いかがだったでしょうか。
バロック期以前の作品には「作者不詳」のものが多い印象を受けましたが、それは無名の画家たちが活躍できるほど、絵画に対する需要が高かったことを意味していると言えます。このことから、当時のスペイン社会において絵画が重要な役割を担っていたといえるでしょう。また、宗教画から現代に至るまで、時代背景とともに作風が大きく変化していく様子は、個人的にも非常に興味深く感じました。
日本の美術館では、イタリア・ルネサンスやフランス印象派、近代絵画を中心とした展示が多く、スペイン絵画に焦点を当てた展覧会はあまり多くないように思います。そのため、こうした貴重なコレクションを持つ長崎県美術館は、スペイン美術に触れる絶好の機会を提供してくれる場所といえるでしょう。
スペイン絵画に興味を持たれた方は、ぜひ長崎県美術館を訪れてみてください。
美術館西にある「長崎水辺の森公園」
ものすごくきれいに整備されています。
長崎県美術館の基本情報
所在地:長崎県長崎市出島町2−1
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