モネの《睡蓮》って有名だけど、結局どんな絵?|名作《大装飾画》とその隠された背景にせまる!!

(スポンサーリンク)

モネの《睡蓮》って
よく聞くけど、結局どんな作品?

クロード・モネ(Claude Monet,1840~1926)

教科書やポスターでおなじみのクロード・モネ《睡蓮》シリーズ
でも正直、「なんであんなに何枚も?」「全部同じに見える…」と思ったこと、ありませんか?

実は《睡蓮》は、ただの“きれいな池の風景”ではありません。
モネは約30年にわたって、自宅の池を描き続けました。そこには創作への執念、年齢や病、そして人生の光と影が深く刻まれています。


そして最終形態、
――《大装飾画》

連作として育っていった《睡蓮》は、最後に“空間そのものを包み込む”《大装飾画》へと到達します。
モネはキャンバスの外側、展示室の形や光の入り方までを設計し、鑑賞体験そのものをデザインしました。
近年では「インスタレーション・アート」という現代美術の一つとしても注目されています。

この記事では、モネがなぜ池に執着し、どうやって《大装飾画》へ辿り着いたのか――その背景やドラマを、できるだけ丁寧にたどっていきます。

読み終えるころには、《睡蓮》がまったく違って見えるはず。
よろしければ、最後までお付き合いください。

《大装飾画》が展示される オランジュリー美術館「睡蓮の間」
画像:by Brady Brenot

(スポンサーリンク)

目次

【第1章】
モネと「水」──彼が描き続けた風景の本質

水辺を愛したモネ

モネは《睡蓮》シリーズ以外にも、いろんな連作を描いています。
中でも有名なのが《積みわら》《ルーアン大聖堂》のシリーズ。時間や光の移ろいを、一枚ずつ丁寧にとらえた作品たちです。

クロード・モネ「陽を浴びるポプラ並木」
島根県立美術館蔵 クロード・モネ「アヴァル門」
モネ「チャリング・クロス橋」
previous arrow
next arrow
 

そして、もうひとつ注目したいのが「水辺」の風景
ジヴェルニーのエプト川沿いに立つポプラ並木を描いた《ポプラ並木》シリーズや、ノルマンディー地方の海岸を描いた《エトルタの断崖》。さらには、イギリスまで行ってロンドンの《チャリング・クロス橋》を描いたこともありました。

なかには、自分のアトリエ船を浮かべて、その上で絵を描いていたこともあるんです。
こうして見てみると、モネが風景の中でも「水辺」に特別な思い入れを持っていたことがよくわかります。


モネの思い出の場所「ル・アーブル」

モネは1840年にパリで生まれ、5歳の頃からセーヌ川の河口にある港町「ル・アーブル」で育ちました。
18歳まで暮らしたことを思えば、この町はモネにとっての“原風景”と言ってもいいかもしれません。

セーヌ川イギリス海峡がぶつかり合うこの町には、水と空が混ざり合う絵画のような空気が流れていたはず。
そんな場所で育ったモネが「水辺」というテーマに惹かれたのは、ごく自然なことだったのでしょう。

埼玉県立近代美術館蔵《ルエルの眺め》(1858年)
ル・アーブルの「ルエル地区」の風景。モネが17歳の頃に描いた風景画です。

また、この地はモネが風景画家ウジェーヌ・ブーダンと出会った場所。
ブーダンは若きモネに「屋外で絵を描くこと」を勧め、のちの印象派のスタイルにつながる大きなきっかけを与えました。

つまりル・アーブルは、モネの絵画人生の原点であり、水辺の記憶が染みついた“始まりの地”でもあったのです。
《睡蓮》シリーズにおける「水へのまなざし」も、ここ「ル・アーブル」で芽生えていたのかもしれません。

マルモッタン・モネ美術館蔵《印象・日の出》
印象派という言葉の由来にもなったこの絵も、実はル・アーブルの港を描いた作品です。

水面の反射、光と色の変化

それ以前のアトリエの中で絵を描いていた頃とは違い、印象派の画家たちは、「外で描くこと(=戸外制作)」をとても大事にしていました。
自然光の中で、天気や時間によって刻々と変わっていく光のニュアンスを、そのまま絵の中にとらえようとしたんです。

たとえば、太陽の光が直接当たる明るい部分。そこから跳ね返って別の場所を照らす反射光。あるいは木陰に落ちるやわらかな色合い……。
彼らは、そういった自然の“光が作り出す魔法”を、それぞれの方法で追いかけていました。

ピエール・オーギュスト・ルノワール
《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》(1876年)

そんな中で、モネが特に心を奪われたのが、「水面」でした。
彼の有名な言葉のひとつに、こんなものがあります。

「水に浮かぶ花は、風景のすべてではない。むしろ、それは“添えもの”にすぎない。本当のモチーフは、水面という“鏡”だ。その姿は、瞬間ごとに変わっていく。」

出典:“Waterlilies or The Water Lily Pond (Nymphéas)”, Denver Art Museum(筆者訳)

水面に映る空の色や、風に揺れてゆがむ影。周囲の木々や橋がふわりと映り込む一瞬のきらめき——
モネにとって、池の睡蓮や周りの景色は“構図の飾り”であって、本当に描きたかったのは「水面に映る光」そのものだったんです。

そんなモネの“水面へのまなざし”の集大成こそが、《睡蓮》シリーズでした。


【1章まとめ】

・セーヌ河口に位置する「ル・アーブル」は、モネにとって芸術的な感性を育んだ原風景の地。

・「水辺」というテーマは、モネの中で光と色の探究を突き詰めるための格好のフィールドだった。


その探究心が、やがて《睡蓮》シリーズというかたちで結実していく



【第2章】
ジヴェルニーの「水の庭」──ジヴェルニーと《睡蓮》の始まり

偶然たどり着いた場所「ジヴェルニー」

現在もジヴェルニーにある「モネの家」
画像:by Spedona

1883年、モネはポワシーから新しい住まいを探していました。
その途中、たまたま乗っていた列車が停車した場所――それが、パリから北西に約80kmの小さな村「ジヴェルニー」でした。

緑あふれるその風景に、モネは一目で惚れ込みます。
あちこち転居を繰り返していたモネですが、ここでの暮らしは彼にとって特別だったようで、この地が生涯の拠点となりました。

(スポンサーリンク)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次