
三重県津市にある「三重県立美術館」。落ち着いた雰囲気の中で、日本・世界の近現代美術を中心に多彩な作品を楽しめる美術館ですが、実は“スペイン美術”にも力を入れているって知っていましたか?
きっかけは1992年、三重県とスペイン・バレンシア州が友好提携を結んだこと。それ以来、美術館の収集方針にスペイン美術が加わり、スペインを代表する画家たちの作品が少しずつ集められてきました。
なかでも、ムリーリョの《アレクサンドリアの聖カタリナ》や、ダリの《パッラーディオのタリア柱廊》は、同館を代表する存在。宗教画の静けさとシュルレアリスムの不思議な世界観、どちらも味わえるのが魅力です。
また、現代彫刻家・柳原義達氏の作品を収蔵する「柳原義達記念館」も併設されており、彼の力強く繊細な彫刻作品と向き合える特別な空間となっています。
柳原義達記念館内
三重県立美術館とスペイン美術
三重県立美術館がスペイン美術作品を収集しだした1992年は丁度、美術館の10周年記念の年で、この年にムリーリョによる《アレクサンドリアの聖カタリナ》が購入されました。またその他にも、ピカソの《ロマの女》の寄贈や、15周年にはダリの《パッラーディオのタリア柱廊》の購入などが続き、美術館の「スペイン美術」作品の基礎を大きく支えるものとなっていきました。
ここでは三重県立美術館の「スペイン美術」のなかでも注目される3点を紹介していきます。
※コレクションの展示は常設展示にて行われていますが、展示替えが定期的にあるため紹介する作品が全て展示されているとは限りません。美術館を訪れる際にはHP等で確認することをお勧めします。
▶三重県立美術館公式HP
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
《アレクサンドリアの聖カタリナ》(1645~1650年)

作品解説(クリックまたはタッチ)

(Bartolomé Esteban Murillo,1617~1682)
スペイン黄金世紀を彩った画家
17世紀スペインを代表する画家、ムリーリョ。
彼はエル・グレコ、ベラスケス、スルバランらと並び、「スペイン黄金世紀」を支えた芸術家のひとりです。
当時のスペインでは、対抗宗教改革の影響で宗教画が大きな存在感を放っていました。画風の主流は「キアロスクーロ」と呼ばれる、明暗のコントラストを強調したドラマチックなスタイル。ムリーリョもこの潮流の中で、多くの聖人や聖母を描いています。
今回紹介する《アレクサンドリアの聖カタリナ》も、そうした時代背景の中で生まれた一枚。
ムリーリョが30代のころに手がけた、確認されている中では比較的初期の作品です。
画面には、聖カタリナの殉教を象徴する“車輪”と“剣”が描かれ、宗教画としての構成もしっかりしています。
明暗の強い描写に加えて、肌のやわらかさや衣の自然な襞(ひだ)の表現には、後年の円熟した作風に通じるものがすでに表れています。

画像:by Jebulon
セビリアが育んだ画家のまなざし
ムリーリョは、生涯のほとんどをセビリアで過ごしました。
エル・グレコのような国外経験も、ベラスケスのような宮廷でのキャリアも持たず、地元を拠点に活動し続けた、スペインでも珍しい画家です。
とはいえ、当時のセビリアは新大陸との交易で栄え、ヨーロッパやアメリカからの情報や文化が流れ込む国際都市でした。イタリア美術やフランドル派の動向も伝わり、ムリーリョは国外に出ることなく、最先端の芸術的刺激を受けていたと考えられます。
また、王宮に仕える宮廷画家たちと異なり、ムリーリョはセビリアの町に暮らす人々を相手に活動していました。そうした自由な立場だったからこそ、彼はしばしば庶民の子どもたちや日常を描く風俗画を残しています。
制約の少ない環境が、ムリーリョのやさしく親しみやすい画風を育てたともいえるでしょう。
この《アレクサンドリアの聖カタリナ》も、そうしたセビリアという都市の空気と、時代の要請が交わって生まれた一枚。
単なる宗教画ではなく、土地と歴史が静かに息づいた作品なのです。

フランシスコ・デ・ゴヤ
《アルベルト・フォラステールの肖像》(1804年頃)

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苦労人の宮廷画家・ゴヤ
スペインを代表する画家にして、近代絵画の先駆者──フランシスコ・デ・ゴヤ。
華やかな宮廷の世界を描きながらも、その裏側にある現実や人間の本質を見つめ続けた画家です。
ゴヤが宮廷画家になったのは40歳のころ。それまでに宗教画やタペストリー原画などで地道にキャリアを積んできました。ようやく手にした成功でしたが、その後まもなく、病により聴力を失ってしまいます。
それでも彼は創作をやめませんでした。
《カルロス4世の家族》や《裸のマハ》といった代表作は、聴力を失ったあとの作品です。

《裸のマハ》(1800年頃)
独立戦争に向かう困難な時代
この《アルベルト・フォラステールの肖像》も、そんな時期に描かれた作品です。
フォラステールは、スペイン国王の近衛兵や騎兵隊長を務めた軍人で、当時の王政を支えた人物のひとりでした。
歴史的にはそれほど有名な人物ではありませんが、ゴヤが描いたこの肖像に目を向けると、どこか疲れたような、憂いを帯びた表情が印象に残ります。
1804年という年は、フランス革命の余波、ピレネー戦争、オレンジ戦争と、スペインが混乱の渦中にあった時代。
そんな不安定な社会情勢が、フォラステールのまなざしにも少しだけ影を落としているように感じられます。
ゴヤの肖像画の魅力は、ただ人物を立派に描くだけではありません。
その人が抱える沈黙や、弱さ、揺れる感情までをも、キャンバスににじませる。
だからこそ、ゴヤの肖像画には、今も人の心に残る深さがあるのです。
フランシスコ・デ・ゴヤ
《戦争の惨禍》(1810~1820年)
作品解説(クリックまたはタッチ)
独立戦争が生んだ“もうひとつの記録”
ゴヤが《アルベルト・フォラステールの肖像》を描いてから数年後の1808年、フランス皇帝ナポレオンは、スペイン・ブルボン朝の内紛に乗じて、兄ジョゼフ・ナポレオンをスペイン王に擁立します。
この横暴に、スペイン国民は激しく反発。
こうして始まったのが、長く苦しい「スペイン独立戦争」です。
暴力の果てにあるのは“狂気”だけ
《戦争の惨禍》は、その独立戦争中にゴヤが見聞きしたことを描いた版画シリーズです。
なかには、フランス軍による民間人への虐殺を描いたものもあれば、逆にスペイン市民がフランス軍人を殺害する場面も。
敵味方の区別なく、戦争という暴力が人間をどう変えていくかに焦点を当てているのが、このシリーズの核心です。
ゴヤがこの作品群で訴えたかったのは、おそらくこういうことではないでしょうか。
「どんな正義があろうとも、戦争の先にあるのは狂気と破壊だけだ」と。
そこには、英雄も勝者もいません。
ただ、人間が人間でなくなっていく過程が、静かに、そして冷酷に刻まれているのです。
発表されたのは死後
この作品が世に出たのは、ゴヤの死から実に35年後──1865年のことでした。
その背景には、《戦争の惨禍》がフランスだけでなく、当時のスペイン王政=ブルボン朝にも鋭く切り込んだ内容を含んでいたことが挙げられます。
政府に仕えていた宮廷画家として、ゴヤがこの作品を生前に発表するのは、あまりにもリスクが大きかったのでしょう。
しかもこの作品が描かれたのは、まだ写真という報道手段が一般的ではなかった時代。
ゴヤは圧倒的な素描力でその現実を描きましたが、その表現には“アート”というより“記録”や“告発”に近い精神が宿っています。
だからこそ、《戦争の惨禍》は──絵画で描かれた、最後のジャーナリズムとも言えるのです。
以上の作品の他にも、ピカソの《ロマの女》やダリの《パッラーディオのタリア柱廊》等の目玉作品にも注目ですが、著作権の関係で残念ながらご紹介できません。こちらの作品も名作ですのでぜひ美術館で鑑賞してみてください。
その他の所蔵作品紹介
※常設展示は作品の入れ替えがありますので紹介する作品が全て展示されているとは限りません。美術館を訪れる際にはHP等を確認することをお勧めします。
▶三重県立美術館公式HP
クロード・モネ
《橋から見たアルジャントゥイユの泊地》(1874年)

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アルジャントゥイユは、パリの北西にある町。モネが1871年から1878年まで拠点として制作活動をしていた場所として知られています。あの有名な《印象・日の出》も、この時期に生まれた作品のひとつ。つまり、アルジャントゥイユはモネの画風を育てた、大切な土地なんです。
そんなアルジャントゥイユを舞台にしたのが、《橋から見たアルジャントゥイユの泊地》。現在も残るアルジャントゥイユ橋から北西を眺め、セーヌ川に停泊する船を描いています。雲の切れ間から差し込む夕陽が、水面に反射してなんとも幻想的。でも、モネが目指したのは「理想の風景」ではなく、「目の前にある光」を忠実に捉えること。そのリアルな描写のおかげで、まるで自分もその場に立っているような気持ちになります。
ちなみに、このアルジャントゥイユ橋は、1870年の普仏戦争で破壊され、再建されたのが1874年。ちょうどこの絵が描かれた年でもあります。もしかするとモネは、新しくなった橋とともに、新しい時代の光景を描きたかったのかもしれません。
小川詮雄
《漁村の夏》(1914年)

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三重県立美術館では、地元・三重県出身の作家たちの作品を多く収蔵しています。今回紹介する《漁村の夏》もそのひとつ。描いたのは、松阪市出身の画家・小川詮雄(おがわ のりお、1894〜1944)です。
小川の作品は同館にも複数収蔵されていますが、油彩画の完成作品(タブロー)はこの1点のみ。画業の詳細についても、あまり多くは知られていません。
けれど、この《漁村の夏》を見れば、彼がポスト印象派、特にそのうねるような線状の筆致からはゴッホに強く影響を受けていたことがわかります。また明確に色面を区切る描き方には、日本の浮世絵の影響も感じられます。
まだ謎の多い画家ですが、夏の日差しに照らされた漁村を鮮やかに描き出したこの作品からは、小川ならではの独特な世界観が伝わってきます。
原田 直次郎
《老人像》(1886年頃)

作品解説(クリックまたはタッチ)

日本の近代絵画というと、黒田清輝が持ち帰った「フランス印象派」の影響から始まったイメージがありますが、実はその前にも洋画家として活躍していた人物がいました。そのひとりが、ドイツに留学し、本格的な写実技法を学んだ原田直次郎です。
三重県立美術館に収蔵されている《老人像》は、直次郎がドイツ留学中に描いたもの。強い陰影と緻密な描写が印象的で、モデルとなった老人の存在感がひしひしと伝わってきます。同時期に描かれた代表作《靴屋の親爺》とあわせて、直次郎が異国の地で身につけた確かな技術を感じ取ることができる貴重な一枚です。
この作品を描いた翌年、直次郎は日本に帰国。しかし当時の日本では国粋主義の風潮が強まり、洋画は排斥運動の標的にされていました。そんな逆風の中でも、日本に洋画を根づかせようと奮闘した直次郎。しかし病に倒れ、わずか36歳でその短い生涯を閉じました。
短い人生の中で、確かな軌跡を刻んだ原田直次郎。彼の真摯なまなざしは、今もこの《老人像》の中にしっかりと息づいています。

《靴屋の親爺》(1886年)
児島 虎次郎
《日本服を着た白耳義(ベルギー)の少女》(1911年)

作品解説(クリックまたはタッチ)

岡山出身の画家・児島虎次郎。倉敷の大原美術館のコレクションを収集したことで知られていますが、本業はもちろん画家。実は、こんなに優れた作品も残しているんです。
三重県立美術館に収蔵されている《日本服を着た白耳義(ベルギー)の少女》は、虎次郎がベルギー留学中に描いた一枚。虎次郎らしい粗めの筆致が印象的で、少女の肌にも細かなタッチが重ねられ、色彩の鮮やかさが引き立っています。背景の赤にも負けない、強い存在感が魅力です。
そして何より心をつかまれるのは、少女のあどけない表情。虎次郎が色使いに工夫を凝らしながらも、少女の素朴な印象を丁寧に描き出そうとしたことが伝わってきます。
ちなみに、児島虎次郎の「和服を着たベルギーの少女」の作品は複数あり、岡山県の大原美術館や高梁市成羽美術館にも収蔵されています。もっと彼の世界を味わいたくなったら、岡山まで足を伸ばしてみるのもおすすめです。
大原美術館の記事はこちらから

高梁市成羽美術館の記事はこちらから

まとめ「三重県立美術館で出会う近代絵画とスペイン美術」

三重県津市にある三重県立美術館は、日本の近現代美術はもちろん、スペイン美術にも力を入れている美術館です。
といっても、肩ひじ張った感じはなくて、落ち着いた空間でゆっくり作品と向き合える、そんな場所です。
1992年、三重県がスペインのバレンシア州と友好提携を結んだのをきっかけに、ムリーリョやゴヤといったスペインの巨匠の作品も収蔵されるようになりました。
ムリーリョの《アレクサンドリアの聖カタリナ》や、ゴヤの《アルベルト・フォラステールの肖像》《戦争の惨禍》は、それぞれの作品としての魅力だけじゃなく、当時のスペインの歴史や社会の空気まで感じられる、深い味わいのある作品たちです。
そして、美術館が大切にしているのは、スペイン美術だけではありません。
小川詮雄のような三重ゆかりの作家はもちろん、児島虎次郎や原田直次郎といった近代日本の注目すべき画家の作品も丁寧に紹介されています。
このように、幅広く目を向ける姿勢もこの美術館の魅力のひとつです。
三重県立美術館は、流行を追いかけるような派手さはありませんが、その分、絵とじっくり向き合える静かで豊かな時間があります。
ふと足を運んで、一枚の絵の前で立ち止まってみる。
そんな、ささやかだけど贅沢な時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
三重県立美術館の基本情報
所在地: 三重県津市大谷町11
アクセス | JR津駅西口から徒歩約10分 |
料金 | 【常設展示】一般:\310(240) 大学・専門学生:\210(160) 高校生以下:無料 ※括弧内は団体料金→20名以上から 観覧料免除制度あり。詳細→三重県立美術館HP |
開館時間 | 9:30~17:00(入館は16:30まで) |
休館日 | 月曜日(祝休日は開館し、翌平日休館) 年末年始 開館日カレンダー→三重県立美術館HP |
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