メナード美術館が“穴場”すぎる|モネ、ゴッホ、アンソールに会えるアートスポット【愛知・小牧】

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私設美術館でゴッホやモネが?|実はすごいぞメナード美術館

愛知県小牧市にある「メナード美術館」ってご存じでしょうか?

ここ、実は化粧品メーカー「日本メナード化粧品」の創業者ご夫妻──野々川大介氏と美寿子氏──が集めたアートコレクションをもとに、1987年にオープンした美術館なんです。

収蔵されてる作品は1600点以上。印象派以降の西洋絵画から、明治以降の日本人画家による洋画や日本画まで、かなり幅広いラインナップ。

しかも、ゴッホ、ルソー、モネ、ユトリロ……といった「え、ここにあるの?」な有名どころまで揃っていて、アート好きならちょっとテンション上がるはず。


看板はアンソール|異色の名作もじっくり見られる

中でも注目は、ジェームズ・アンソールの《仮面の中の自画像》。アンソールを代表する1枚で、この美術館のシンボル的存在です。

ほかにも、印象派やエコール・ド・パリ系の作品がしれっと並んでいて、「あ、これもあるんだ」と何度も驚かされます。

都心の混雑とは無縁、落ち着いた空間でゆっくり名画を味わえるのも大きな魅力。

というわけで今回は、そのコレクションの中から「これ、見てほしい!」という作品をいくつかピックアップしてご紹介します。気軽に読んでってくださいね。



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目次

所蔵作品紹介

※今回紹介する作品はコレクションのほんの一部です。展示されていない場合もありますので、美術館を訪れる際にはホームページをご確認することをお勧めします。→メナード美術館HP


クロード・モネ
《チャリング・クロス橋》(1899年)

油彩、カンヴァス、65.0×81.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
クロード・モネ(Claude Monet,1840~1926)

「積みわら」や「睡蓮」の連作でおなじみ、印象派の代名詞ともいえるクロード・モネ。そんな彼が描いたこの作品《チャリング・クロス橋》は、いつものフランスではなく、なんとロンドンの風景です。

モネが最初にロンドンを訪れたのは1870年。普仏戦争を避けての一時的な滞在でしたが、それがきっかけでこの街に惹かれていったようです。

そして再び訪れた1899年、滞在先だった「ザヴォイホテル」の部屋から眺めたテムズ川とチャリング・クロス橋の景色に、すっかり心を奪われます。そこから始まったのが、このモチーフによる連作。1905年までに、なんと約40点も描いています。

モネはロンドンの霧をとても愛していて、

「霧がなければ、ロンドンは美しい街じゃない。あの霧こそが、ロンドンに壮大な広がりを与えているんだよ。」

とまで語ったほど。

この作品に漂う、ぼんやりとかすんだ空気感。テムズ川の風景がふわっと溶けて見えるのは、単に“印象派らしい”というより、モネが霧に惚れ込んでいたからこそなんです。

現在のチャリング・クロス橋
画像:by ChrisO



フィンセント・ファン・ゴッホ
《一日の終り(ミレーによる)》(1889年)

油彩、カンヴァス、72.0×94.0cm
作品解説
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh,1853~1890)

“色彩の翻訳”の模写

サン・レミの精神病院に入院していた1889年。
心身ともに不安定な状態にありながらも、ゴッホは筆を止めることなく絵を描き続けていました。

この《一日の終り》も、その時期に描かれた作品のひとつ。
元になっているのは、ジャン=フランソワ・ミレーの同名の版画。ミレーはゴッホが深く敬愛していた画家で、特に“働く農民”を描いた作品に心を打たれていたようです。

画面には、仕事を終えて外套を着ようとする農夫の姿が。
その穏やかな情景から、労働のすばらしさと農夫の静かな満足感が伝わってくるようです。空にはゴッホらしい力強い筆致で描かれた、ドラマチックな夕焼け。黄色と青の対比が目に焼きつきます。

ジャン=フランソワ・ミレー
《一日の終り》(1873年、木版画)

「ただの模写じゃない」ゴッホの流儀

この絵は、ゴッホにとって単なる「模写」ではなく、それ以上の意味を持つものでした。

弟テオに送った手紙の中で、彼はこんなふうに書いています。

ミレーが油で描く暇のなかった彼の作品は再現してみるだけの理由が充分あると思う。[……]これは普通の意味での純粋な模写ではない。それはむしろ白黒の濃淡による印象を、別の言語に——色彩の言語に——翻訳することだ

フィンセント・ファン・ゴッホ著 二見史郎(ほか)訳「ファン・ゴッホ書簡全集 第五巻」みすず書房 1984年11月20日発行改版第一刷、1709頁

つまり、白黒の版画に対して、色と絵筆で新たな命を吹き込もうとしていたんですね。
想像で絵を描くのが得意じゃなかったと言われるゴッホですが、この作品では色や光、さらには細部の描写を自分なりに補っていて、むしろ想像力全開です。

ミレーの絵に込められた労働への敬意。
それにゴッホのまなざしと色彩が重なったことで、《一日の終り》は、まったく新しい作品に生まれ変わったのです。


ジェームズ・アンソール
《仮面の中の自画像》(1899年)

油彩、カンヴァス、117.0×82.0cm
作品解説
ジェームズ・アンソール(James Ensor,1860~1949)

“仮面”の画家アンソール

ジェームズ・アンソール。
19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したベルギーの画家で、仮面や骸骨をテーマにした、ちょっと不気味で、でも一度見たら忘れられない作品を多く残しました。

どこかヘンテコで奇抜な構図や色使い。
そのスタイルは、のちの表現主義やシュルレアリスムにも影響を与えたと言われています。

この《仮面の中の自画像》も、まさにそんなアンソールらしさ全開の一枚。
画面いっぱいに広がる仮面や骸骨の中に、アンソール自身が静かにこちらを見つめています。

これ、一体何を意味してるんでしょうか?

アンソールにとっての「仮面」とは?

この作品が描かれたのは19世紀末。
産業革命で社会が大きく変わり、芸術も新しい価値観にさらされていた時代です。

ベルギーには「20人展(Les XX)」という前衛的なアーティストたちのグループがあり、アンソールもその創立メンバーのひとりでした。でも、その中でも彼は「ちょっと変わった人」扱い。あまりにも独自すぎて、周囲から浮いていたんです。

そんな彼にとって、「仮面」は人との距離や、社会とのズレ、理解されない苦しさの象徴だったのかもしれません。
仮面で埋め尽くされたこの作品には、周囲の無関心や虚栄を皮肉る視点が感じられます。

しかし、アンソールの「仮面」にはもうひとつの顔もあります。

実は彼の実家は土産物屋で、カーニバル用の仮面をたくさん扱っていました。
アンソールにとって仮面は、ただの風刺の道具ではなく、子どものころから身近にあった“遊び”や“お祭り”の象徴でもあったんです。
だからこそ彼の絵は、風刺や不気味さを抱えながらも、どこか華やかで、温かみを感じるのかもしれません。

つまり、アンソールにとっての仮面は、批判の道具であると同時に、愛着ある記憶でもあったのです。
この相反する感情が、絵の中で不思議に共存しているのが面白いところ。

あなたはこの絵から、どんな「顔」が見えてきますか?

メナード美術館蔵
《オルガンに向かうアンソール》(1933年)

アンリ・ルソー
《工場のある風景》(1896~1906年頃)

油彩、カンヴァス、38.1×45.8cm
作品解説
アンリ・ルソー(Henri Rousseau,1844~1910)

不自然だけど自由、それがルソーの世界

「なんだか、ちょっとヘン…でも、なんか好きかも。」

ルソーの絵を初めて見たとき、多くの人がそう感じるかもしれません。遠近感がゆるくて、サイズ感もバラバラ。でも、それが逆にクセになる──そんな魅力がルソーにはあります。

アンリ・ルソーは、パリの税関職員として働きながら独学で絵を描いていた、いわば“プロじゃない画家”。
美術学校で学んだこともなく、すべて自己流。だからこそ生まれた独特の画風が、今なお強烈な個性として光っています。

ライオン?いや犬?

この《工場のある風景》を見てみましょう。
道路にはそれなりに奥行きがあるように見えるのに、手前と奥の人物のサイズがほぼ一緒。真ん中にいる犬(?)にいたってはもはやライオン並みの大きさです。

でも、そんな違和感なんて、ルソーにとってはどうでもいいこと。

遠近法やリアルな縮尺なんて気にしない。
描きたい世界を、描きたいように描く。その素朴でマイペースな自由さこそ、ルソーの魅力です。

絵の本質は“自由であること”

工場の煙突からもくもくと立ちのぼる煙。
そのまわりには静かな住宅街。
道を歩く人や犬がいて、どこかのんびりとした空気が流れています。

一見ちぐはぐな構図なのに、不思議と惹きこまれる。
そこにはルソー独自の“世界の見え方”がしっかりと根を下ろしているんです。

現実を写し取るのではなく、自分の中にある“こうであってほしい風景”をそのまま形にしたような世界。
ちょっと牧歌的で、少しナンセンスで、でもなぜか心に残る。そんな理想郷のような空気が、この小さなキャンバスからじわじわ伝わってきます。

技巧がないからこそできたこと。
型にハマらなかったからこそ、生まれた表現。

ルソーの絵は、そんな「絵の自由さ」そのものを体現していて、今でも私たちに新しい視点を投げかけてくれます。


岸田 劉生(きしだ りゅうせい)
《林檎を持てる麗子》(1919年3月)

水彩、紙、38.2×28.3cm
作品解説
岸田劉生(きしだ りゅうせい、1891~1929)

小さなモデル、大きな存在感

岸田劉生といえば「麗子像」
愛娘・麗子をモチーフにした連作は、日本近代絵画の中でもひときわ異彩を放っています。

この《林檎を持てる麗子》は、1919年に描かれた水彩作品。ちょうどあの有名な《麗子五歳之像》(東京国立近代美術館蔵)の翌年にあたります。

じっと何かを見つめるような表情。手には艶やかな林檎。肩にはふっくらとした毛糸のストール。
水彩とは思えないほどの精緻な描き込みで、劉生の“写実への執念”がビシビシ伝わってきます。

東京国立近代美術館蔵
《麗子五歳之像》(1918年)

描写の細かさは父の愛の深さ?

この時期の劉生は、北方ルネサンスの巨匠デューラーに影響を受けていて、ひとつひとつの筆致にものすごくこだわっていました。
この作品でも、林檎のツヤ、毛糸の編み目、そして麗子の頬のやわらかさまで、すべてが水彩とは思えないほどリアル。

特に注目したいのは、顔の描き込み。
細かい線の重なり(ハッチング)でふっくらした幼児らしさが丁寧に描かれていて、そこには画家としての技巧だけでなく、父としての深い愛情も感じられます。

ちなみに麗子、このときまだ5歳目前
長時間じっとポーズをとるのは難しかったはず。それでも、画面の外をまっすぐ見つめるその姿には、「ちゃんとモデルとして頑張ろう」とする健気さが滲んでいます。

子どもを「可愛く」描くのではなく、「ありのまま」に描く。
そしてその中に、親としてのリアルな愛情と、画家としての真剣さを同時に込める。
この一枚から、そんな劉生のまなざしが伝わってくる気がします。


岸田劉生
《笑ふ麗子》(1922年)

油彩、板、40.8×32.1cm
作品解説

不気味?「麗子像」と「東洋の神秘」

さきほどの《林檎を持てる麗子》と比べると──いや、それどころか、あの有名な《麗子微笑》とさえもまったく違う。
この《笑ふ麗子》には、一目見ただけで伝わってくる“何か”があります。
笑っているはずなのに、なぜか不気味。でも、目が離せない。そんな不思議な力を持った一枚です。

当時の岸田劉生は、西洋の写実表現にどこか限界を感じていました
いくらリアルに描いても、それだけでは届かない“何か”がある。
そこで彼が探し始めたのが、東洋美術の持つ独特の感性──「神秘性」や「異様さ」、そして「でろり」と彼自身が呼んだような、不思議な存在感でした。

麗子微笑
東京国立博物館像《麗子微笑》(1921年)

「でろり」と笑う

この《笑ふ麗子》に描かれた麗子の顔は、ちょっと崩れたような、不自然な笑み。
あどけなさとは違う、むしろ“人ならざるもの”のような雰囲気さえ漂っています。
でも、だからこそ惹きつけられる。不快と美のギリギリの境界線を歩くようなこの絵には、西洋の「写実」とは違う「リアル」があります。

劉生は、それを「卑近味」「でろり」と言いました。
あえて形を崩し、歪めることで、むしろ生々しいリアリティを引き出す。
これは、西洋的な“正しさ”からあえて離れていく表現です。

この《笑ふ麗子》はその特徴的な雰囲気から、おそらくのちに描かれる《野童女》の習作と考えられています。
つまりここには、東洋のリアリズムを追い求めた劉生の“実験”が詰まっているんです。

「可愛い」「うまい」だけでは終わらない麗子像。
この一枚は、劉生がどれほど深く絵と格闘していたかを、強く物語ってくれます。

「野童女」(1922年5月20日)
神奈川県立近代美術館寄託
《野童女》(1922年5月20日)


まとめ「近代絵画と“語り合える”美術館」

メナード美術館は、コレクションの幅も、作品の質も、ちょっとやそっとじゃ語りきれない奥深さがあります。

印象派の巨匠モネ、幻想と風刺のアンソール、ゴッホの静かな情熱、ルソーの不思議な世界、そして岸田劉生が追い求めた写実と表現──
一つひとつの作品に、まったく異なる“目”と“問い”があり、それをゆったりと味わえる空間がここにはあります。

私設美術館でありながら、これだけ多彩な名作に出会える場所はそう多くありません。
それでいて、静かで落ち着いた空気の中、自分のペースで絵と向き合える。そんな特別な場所です。

名古屋近郊に行くことがあれば、少し足を伸ばして小牧へ。
きっと、思っていたよりずっと深く、じんわりと印象に残る時間になると思います。


メナード美術館の基本情報

所在地: 愛知県小牧市小牧5丁目250

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