メナード美術館
愛知県小牧市にあるメナード美術館は、日本メナード化粧品株式会社の創業者、野々川大介・美寿子夫妻が中心に収集したコレクションを基にして、1987年に開館した美術館です。
コレクションの収蔵数は1600点を超え、その内容は印象派以降の西洋絵画や、明治以降の日本人画家による西洋画・日本画を主体としています。
その中から何点か紹介しますのでよろしければ覗いていってください。
所蔵作品紹介
ジェームズ・アンソール
「仮面の中の自画像」(1899年)
「仮面の中の自画像」(1899年)
ジェームズ・アンソール(James Ensor, 1860~1949)は、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したベルギーの画家で、仮面や骸骨をモチーフにした独創的な作品で知られています。彼の作品には、社会や人間性への鋭い風刺と、幻想的で不気味な雰囲気が込められています。
アンソールは、当時の芸術界で異端的な存在でした。彼は、モネやゴッホ、ゴーギャンといった名だたる画家たちが参加した「20人展(Les XX)」の創立メンバーとして活動しましたが、その奇抜な作風ゆえに「20人展」の中でも孤立することが少なくありませんでした。
仮面というモチーフは、アンソールにとって特別な意味を持っていました。彼は、仮面が素顔以上に人間の本質を暴露すると考え、これを通じて社会の偽善や虚栄を皮肉りました。しかし、仮面は単なる風刺の為の道具であるだけでなく、彼の幼少期に実家で営んでいた土産物屋の記憶にも深く結びついています。実家の仮面はカーニバルなどの催し物のために売られ、アンソールにとっては愛着や郷愁を伴うモチーフでもあったのです。
本作「仮面の中の自画像」では、無数の仮面が画面全体を埋め尽くし、それぞれが鑑賞者をじっと見返しています。その中で、アンソール自身の姿も描かれていますが、彼の自画像はあたかも他の仮面の一つであるかのように配置されています。この作品からは、「仮面を被っているのは誰なのか?」という問いが浮かび上がります。仮面を被っているのは、アンソールを理解せず嘲笑する周囲の人間なのでしょうか。それとも、社会の中で孤独を感じながらも自分を貫こうとするアンソール自身なのでしょうか。あるいは、人間に素顔などなく、すべての人間は仮面を付け替えながら生活を強いられているのかもしれません。
本作品からはアンソールの社会に対する葛藤と皮肉、そしてその根本に対する大きな問いが込められているように感じます。
フィンセント・ファン・ゴッホ
「一日の終り(ミレーによる)」(1889年)
「一日の終り(ミレーによる)」(1889年)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh,1853~1890)は、精神疾患に苦しみながらも創作への情熱を失うことはありませんでした。本作「一日の終り」は、彼がフランスのサン・レミの精神病院で過ごしていた1889年、ジャン=フランソワ・ミレーの版画をもとに描かれた作品です。
この作品には、夕暮れ時の畑で働き終えた農夫が描かれており、背後には彼が一日の労働を終えた土地が広がり、空には黄色と青の色彩が織りなすドラマチックな夕焼けが描かれています。力強い筆致と鮮やかな色彩は、ゴッホ特有の表現様式を反映しており、労働者というテーマに彼の深い共感が込められていることがうかがえます。
特筆すべきは、この作品が単なる模写ではない点です。ゴッホは弟テオへの手紙の中で、本作について以下のように言及しました。
ミレーが油で描く暇のなかった彼の作品は再現してみるだけの理由が充分あると思う。[……]これは普通の意味での純粋な模写ではない。それはむしろ白黒の濃淡による印象を、別の言語に——色彩の言語に——翻訳することだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ著 二見史郎(ほか)訳「ファン・ゴッホ書簡全集 第五巻」みすず書房 1984年11月20日発行改版第一刷、1709頁
ゴッホは想像で描くことは苦手でしたが、本作ではミレーの版画にディテールを描き加えており、想像力を駆使して描いたことが見て取れます。その情熱に、ゴッホがオランダ時代から労働者を描き続けてきた経緯や、彼が尊敬する画家ミレーへの深い敬意を見出すことができるでしょう。
アンリ・ルソー
「工場のある風景」(1896~1906年頃)
「工場のある風景」(1896~1906年頃)
素朴派で知られるアンリ・ルソー(Henri Rousseau,1844~1910)は、元々パリの税関職員を務めていた素人画家であったため、美術学校に通うなどの正式な美術教育を受けていませんでした。そのため、彼の風景画には遠近感があいまいなものが多く、絵の中のものの大きさや位置関係が不自然なことがあります。
本作「工場のある風景」でも、遠近感に混乱を覚えるかもしれません。画面奥から手前に続く道路にはパースペクティブが施されていますが、奥の人物と前景の人物の大きさには大きな差が見られず、中央に描かれた犬(?)はライオンほどの大きさで、人を襲いそうな迫力を持っています。このような不均衡な表現は、一見すると風景画としてのリアリティを欠いているように見えるかもしれません。
しかし、こうした特徴こそがルソーの魅力です。彼の絵には洗練された技巧や精密な描写ではなく、素朴で力強い個性が息づいています。本作でも、工場という産業的な題材を取り上げつつも、どこか牧歌的で穏やかな雰囲気が印象的です。煙を上げる工場と、その周囲に広がる人々や動物の姿は、現実世界の再現というよりも、ルソー独自の想像力による理想郷のように感じられます。
こうしたユニークな世界観は、同時代のピカソやロートレックといった前衛的な画家たちを魅了しました。ルソーの絵画は、技巧の枠にとらわれない表現の自由さによって、見る者に驚きと新たな視点を与え続けています。
岸田劉生
「林檎を持てる麗子」(1919年3月)
「麗子像」の連作で知られる岸田劉生(1891~1929)は愛娘の麗子を写実的に描いたことで知られています。本作と同時期の作品に東京国立近代美術館蔵の「麗子五歳之像」が有名ですが、この時期の劉生は北欧ルネサンスの画家アルブレヒト・デューラーに影響され、きわめて細かい描写に努めています。
本作品「林檎を持てる麗子像」は、「麗子五歳之像」の翌年、1919年に描かれた水彩画です。手に持つ林檎は、艶やかでリアルな質感が巧みに表現され、また、肩掛けの毛糸の編み目も細部に至るまで丹念に描かれています。特にそのふっくらとしたあどけない顔はハッチング様の線描写で細かに描きこまれており、劉生の写実性へのこだわりと同時に麗子に対する愛情が見て取れます。
ちなみに麗子は、この時5歳になる直前でした。長時間のポーズは難しかったことが想像できますが、画面外をジッと見つめるその表情には、幼いながらもモデルとしての役割を果たそうとする健気さが感じられます。
岸田劉生
「笑ふ麗子」(1922年)
「笑ふ麗子」(1922年)
「林檎を持てる麗子」に比べ、本作「笑ふ麗子」は、画風が大きく変化していることが分かります。この年の前年に制作された「麗子微笑」(東京国立博物館蔵)と比べても、その雰囲気は異なり、不気味さを伴った笑顔が印象的な作品となっています。
この頃の岸田劉生は、西洋の写実表現に限界を感じ始め、表現の新たな方向性を模索していました。その行き着いた先が、東洋美術の持つ独自の感性や表現方法でした。「笑ふ麗子」は、その試行錯誤の中で生まれた作品の一つであり、従来の写実的な麗子像とは一線を画す作品といえるでしょう。
劉生はこの東洋独自の不気味さ、神秘性を「卑近味」や「でろり」という言葉で表現しました。それはモデルの形態を少なからずデフォルメする手段をとるため、西洋の写実性(リアリズム)とは異なるものでしたが、劉生はその卑近味に東洋独自のリアリズムを感じ取るようになっていきます。
本作はおそらく後に描かれる「野童女」の習作であり、この作品において劉生が試みた東洋的なリアリズムの探求が、後の作品に受け継がれていると考えられます。「笑ふ麗子」は、劉生の芸術観の転換点を象徴する作品として、彼の創作過程を知る上で極めて重要な位置づけにあります。
今回紹介した収蔵作品はコレクションのほんの一部です。展示されていない場合もありますので、美術館を訪れる際にはホームページをご確認することをお勧めします。→メナード美術館HP
メナード美術館の基本情報
所在地: 愛知県小牧市小牧5丁目250
アクセス | 名鉄小牧線「小牧駅」下車西口より徒歩15分 その他のアクセス方法→メナード美術館HP |
料金 | 一般:\1,000(800) 高大生:\600(500) 小中生:\300(250) (括弧内は団体割引料金→20名以上から) 障害者手帳、被爆者健康手帳、戦傷病者手帳、特定医療費受給者証の所持者および同行者1名は無料。要証明 ※企画展の場合は別料金となる場合あり。要確認→メナード美術館HP |
開館時間 | 10:00~17:00(最終入館は16:30) |
休館日 | 月曜日(祝休日の場合は直後の平日) 展示替等による臨時休館、年末年始 その他臨時休館あり。要確認→メナード美術館HP |
参考文献
・藤田尊潮 訳編「ジェームズ・アンソール【自作を語る画文集】仮面と骸骨の幻想」 八坂書房 2022年4月25日発行
・末永照和著「ジェームズ・アンソール 仮面の幻視者」 小沢書店 1983年12月20日発行
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