
「ひまわり」や「夜のカフェ・テラス」で知られるゴッホ。名前は聞いたことがあるけれど、どんな人生を送ったのかまでは知らない……という方も多いのではないでしょうか?
「ちょっと変わった天才画家」くらいのイメージはあっても、実際の人物像や作品が生まれた背景については、意外と知られていないんです。
そこで今回は、ゴッホの生涯をギュッとコンパクトにまとめてみました!
展覧会に行く前に読んでおけば、きっと作品の見え方も変わってくるはず。
それではさっそく見ていきましょう!
画家になるまで
少年時代「可愛げのないヘソ曲がり」
フィンセント・ファン・ゴッホは1853年、オランダのズンデルトという小さな町に生まれました。父は牧師、母は芸術にも理解のある家庭で、6人きょうだいの長男として育ちます。
子どものころから内向的で、人との付き合いはちょっと苦手。自然や農村の風景に強く惹かれる少年でした。でも、家の家政婦からは「へそ曲がりで、いちばん可愛げがなかった」とまで言われていたそうで……性格のクセはこの頃から健在だったようです。
そんなゴッホですが、母親から水彩画を教えてもらうなど、芸術への感受性はしっかり育まれていました。厳格な宗教教育を受けながらも、心の奥には芸術の芽が息づいていたのかもしれません。

青年時代「美術商はうまくいかず」
18歳になると、伯父の紹介でハーグの「グーピル商会」に就職します。ヨーロッパ中に支店を持つアート系商社で、美術品を扱う仕事を経験。芸術への関心も深まっていきますが、仕事ぶりはあまり評価されず、数年後にはあっさり解雇……。
でも、ゴッホはここでめげません。次に目指したのはなんと「聖職者」!
伝道師を目指したことも…
芸術の道から一転、今度は宗教の道へ。神学校を受験しますが、学力が追いつかず不合格。それでもあきらめず、ベルギーの炭鉱地帯「ボリナージュ」で伝道師として働き始めます。
ゴッホは貧しい鉱夫たちと同じような粗末な生活を送り、無償で支援を続けました。その献身的な姿勢に人々は感動した一方、宗教当局からは「やりすぎ」と判断され、結局はこの道も断念することになります。
この挫折は彼にとって大きな痛手でしたが、同時に「芸術で生きる」という新たな決意を生むきっかけにもなりました。
ポイント!
・ゴッホは子供のころから気難し屋だった
・美術商の仕事は数年で解雇される
・聖職者を目指すが、これもすぐに廃業してしまう

オランダ時代のゴッホ
初期の絵は「暗かった」?
画家になることを決意したゴッホは、再び故郷オランダへ。ここから本格的に「画家への道」を歩み始めます。
まずはハーグで、親戚でもある画家アントン・モーヴに師事。素描や油絵の基礎をしっかり学びました。
この時期のゴッホの関心は、農民の生活や労働に向けられています。題材に選んだのは、畑を耕す人、薪を割る人、地に足のついた暮らしをする人たち。まるで彼らの人生をそのまま描き出すような、重くてリアルな作品が次々と生まれていきます。
そしてその集大成が、1885年の代表作《じゃがいもを食べる人々》です。

素朴な室内で、農民の一家がじゃがいもを囲む姿。
茶色を基調とした暗い色調が、当時の生活の厳しさをリアルに伝えます。
人付き合い悪いし、生活できない…
でも、ゴッホの道のりは順調とはいきませんでした。
真面目すぎる制作態度や、ちょっと不器用な性格が災いして、師のモーヴや地元の画商とたびたび衝突してしまいます。さらに、モデルへの謝礼や絵の材料費もかさみ、生活はいつもギリギリ。
そんな彼を支えていたのが、弟のテオ。美術商として働いていたテオは、兄を経済的にも精神的にも支え続けました。
ポイント!
・初期の作品はとにかく暗め。テーマは農民の労働や生活
・無収入だったゴッホは、弟テオからの仕送りでなんとか制作を続けていた
・絵の世界にのめりこみすぎて、人とのトラブルも多かった…

パリ時代のゴッホ
「印象派」のパリ
1886年、ゴッホは新天地・パリへ。弟テオの家に身を寄せ、にぎやかな芸術の中心地で暮らし始めます。
パリといえば、当時の最先端アートが集まる場所。ここで彼は、印象派や新印象派の画家たちと次々に出会い、まるで別世界に飛び込んだような体験をします。
交流したのは、エミール・ベルナール、トゥールーズ=ロートレック、ポール・シニャックといった個性派ばかり。彼らの色彩豊かで自由な表現に大きな刺激を受け、自分の絵も一気に変化していきました。
日本の「浮世絵」、明るく!色鮮やか!
この頃から、ゴッホの絵には明るい色彩が増え、筆づかいも勢いを増していきます。
パリの街角、花、そして静物画。描くモチーフもぐんと幅広くなりました。
さらに彼を夢中にさせたのが――日本の「浮世絵」!
線と構図の美しさ、平面的な色使い、異国の風景にすっかり魅了され、何点も模写を残しています。

けれども、ゴッホは「もっと明るい色と光が欲しい」と思うように。
パリでは物足りなくなり、ついにさらなる光を求めて――南フランスへと旅立ちます。
ポイント!
・パリで印象派と浮世絵に出会う
・パリでゴッホの絵は明るくなっていく

アルル時代のゴッホ
ゴッホの「黄金時代」
1888年、ゴッホはさらなる“光”を求めて南仏・アルルへ。
パリの喧騒を離れ、降りそそぐ太陽と澄んだ空気に心を奪われます。
この土地で、彼はまさに“色彩の革命”を起こしていきます。
ひまわりが咲き誇る夏、カフェがにぎわう夜の街角、星がきらめくローヌ川のほとり――
《ひまわり》《夜のカフェテラス》《ローヌ川の星月夜》など、名作の数々がこの地で生まれました。

共同生活の破綻と「耳切り事件」
さらにゴッホは、ここで夢を実現しようとします。
借りた「黄色い家」に、かねてから親交のあったポール・ゴーギャンを呼び寄せ、
芸術家たちが共に暮らす“理想のアトリエ”を作ろうとしたのです。
でも……現実はそう甘くありませんでした。
繊細で衝動的なゴッホと、理知的で冷静なゴーギャン。
性格も制作スタイルもまるで違う二人は、やがて衝突を重ねていきます。
ついにはゴッホが精神的に不安定になり、有名な“耳切り事件”が起きてしまうのです。
その後、ゴッホは地元の病院に入院。
アルルでの生活は、わずか1年ほどで幕を閉じました。
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ポイント!
・アルルでゴッホの絵は色鮮やかになっていく
・ゴーギャンと同居するが、すぐに破局する
・精神のバランスを崩し、入院生活へ――でもこの時期の作品は傑作ぞろい!

サン・レミ時代から亡くなるまで
精神病院に入院、うねりだすタッチ
アルルでの騒動のあと、1889年、ゴッホは南仏サン・レミの精神病院に自ら入院します。
病に苦しむ中でも、筆を握る手は止まりませんでした。
この時期に描かれたのが、《アイリス》《糸杉》、そして世界的に有名な《星月夜》など。
特に《星月夜》に見られる、うねるような渦巻きの表現は、この頃から多くの作品に現れるようになります。

終焉の地オーヴェル
創作と発作を繰り返す日々。
療養のための環境とはいえ、ゴッホにとって精神病院での生活は決して穏やかとは言えませんでした。
翌1890年、彼は静養地を移し、パリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズへ。
ここでは医師ポール・ガシェのもとで治療を受けながら、再び野外での制作に励みます。
風にそよぐ麦畑、村の人々、広がる空――
ゴッホはわずか70日ほどの間に、なんと70点以上もの作品を描いたといわれています。

死
表面上は穏やかだったオーヴェルでの生活ですが、心の中には再び影が差しはじめていました。
弟テオの経済的な苦境、自分が“家族の負担になっているのではないか”という思いが、ゴッホの心を深く苦しめていきます。
そして1890年7月、ゴッホは胸に自ら銃弾を撃ち込みます。
そして、駆けつけたテオに看取られながら、静かに息を引き取りました。
享年37。あまりにも早すぎる死でした。
ポイント!
・サン・レミ時代から渦を巻くような描き方が現れるようになる
・オーヴェルにて自死したとされる
・ゴッホの作品は生前に評価されなかった

死後の影響
高額で取引
ゴッホが亡くなった後、しばらくはまだ無名に近い存在でしたが、20世紀に入る頃から状況は一変します。
彼の作品はコレクターたちの間で注目を集め、次第に高値で取引されるようになりました。
日本にあるSOMPO美術館の《ひまわり》は、なんと53億円という驚きの価格で購入されたことで知られています。
ゴッホの名は、今や“高額落札”の代名詞にもなっているほどです。
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後世の画家たちへ
でも、ゴッホの本当のすごさは、お金の話だけではありません。
彼の独特な色彩と力強い筆致は、多くの芸術家たちに大きな影響を与えました。
たとえば、「フォービズム」の創始者アンリ・マティス。
マティスは、ゴッホの鮮やかな色使いに衝撃を受け、「もっと自由に色を使っていいんだ!」と開眼したといいます。
また、ドイツで生まれた「表現主義」の画家たちにもゴッホの影響は絶大。
内面の感情を激しいタッチや歪んだ形で表現するそのスタイルは、ゴッホが先に切り開いた表現の道を受け継いだものでした。
生前にはあまり理解されないゴッホでしたが、
死後にその炎は大きく燃え上がり、今も世界中の人々の心を揺さぶり続けています。

終わりに。関連記事
ゴッホの人生をざっくりとご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
「もっと深く知りたい!」という方には、ゴッホの書簡集をもとにした
「ゴッホを詳しく解説」シリーズもおすすめです!
ゴッホの言葉を通して、彼の本当の姿にじっくり迫っていけます。
[ゴッホを詳しく解説するシリーズ第1回はこちら]

また、日本国内にもゴッホ作品を所蔵する美術館がいくつもあります。
ぜひ次の休みに、ゴッホの絵を実際に見に行く旅に出てみませんか?
[ゴッホの絵がある日本の美術館まとめはこちら]
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ちょっとした興味が、思わぬ感動につながるかもしれません。
あなたもぜひ、自分だけの「ゴッホとの出会い」を楽しんでみてくださいね。
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