若冲の鶏や栖鳳の虎、動物が盛りだくさん! 嵯峨嵐山、福田美術館のみどころ

福田美術館について

福田美術館は、2019年に開館した京都嵐山に位置する美術館です。伊藤若冲や与謝蕪村、竹内栖鳳、竹久夢二など、日本画を中心とした優れた作品群を収蔵しています。

100年続く美術館」をコンセプトに掲げ、時代を超えて愛される作品を収蔵するとともに、常に流行や人々の趣向に敏感であることを目指しています。そのため、伝統と革新が調和する独自の方針が感じられる美術館となっています。

また、通常の日本画を扱う美術館では写真撮影が禁止されている場合が多い中、福田美術館では作品の写真撮影が可能となっています(フラッシュはNG、一部撮影禁止の作品あり)。この取り組みは、美術館の「新しい鑑賞体験を提供する」という姿勢を象徴しており、古い美術館の慣習にとらわれない姿勢が感じられます。

それでは、福田美術館のコレクションから、注目の作品をいくつかご紹介しましょう。

目次

主な所蔵作品紹介

伊藤若冲
「蕪に双鶏図」
紙本着色、一幅、111.0×68.8cm

伊藤若冲(いとう じゃくちゅう、1716~1800)は、江戸時代中期に活躍した画家で、動植物をモチーフにした精緻で独創的な作品群によって広く知られています。彼の作品の中でも特に鶏を題材にしたものは数多く、若冲自身が鶏を特別に好んでいたことが窺えます。

本作「蕪に双鶏図」でも鶏が主題として描かれ、中央の鶏の動きのあるポーズが観る者の目を引きます。鶏の羽毛や顔、脚の細部に至るまで緻密に描写され、若冲の類い稀なる観察力と技術力を感じることができます。また、蕪の葉には虫食いや病斑、変色した部分まで細かに描かれており、写実性と装飾性を兼ね備えた若冲独自の美学が反映されています。

本作は2019年に発見された若冲の彩色画で、画風や構図から彼の最初期、30代初め頃の作品と考えられています。若冲が本格的に画業に専念したのは40歳の隠居以降とされるため、それ以前の作品は極めて貴重と言えるでしょう。

曾我蕭白
「雲龍図」(1771~1781年)
紙本墨画、一幅、124.0×51.7cm

曾我蕭白(そが しょうはく、1730~1781)は江戸時代中期に活躍した画家で、特に水墨画を得意としました。墨の濃淡や筆致を巧みに操るその独創的な画風は、力強さと奇抜さ特徴としています。

本作「雲龍図」は、蕭白の大胆な画風が存分に発揮された作品です。画面全体を支配する大きな楕円の構図は、視覚的なインパクトを与えると同時に、作品全体に動きと調和を生み出しています。またそれとは対照的に、画面上部の暗雲から顔を出す龍の顔は細かな筆致で描かれており、ユーモアのある龍の表情がとても印象的です。

「雲龍図」は、蕭白の独創性が凝縮された作品であり、彼が持つ型破りな大胆さと精緻で繊細な描写から生まれる緊張感や、独特のユーモアを味わうことができる名品です。ぜひ美術館で実物をご覧になってください。

狩野探幽
「雲龍図」(1666年)
絹本墨画、軸装一幅、90.0×166.0cm

狩野探幽(かのう たんゆう、1602~1674)は、江戸時代初期狩野派の絵師です。祖父の狩野永徳が豪壮華麗な画風で名を馳せたのに対して、探幽は広い余白と秩序立てられた画面構成をもって落ち着いた味わいのある絵を描いていきました。

本作「雲龍図」は探幽が晩年に描いたものです。本作においても余白を活かした探幽の特徴がみられますが、こちらを向く龍はダイナミックな線で大迫力で描かれています。龍の輪郭線は濃淡のある線で空間の演出が図られており、また雲の蒸気による微細な濃淡表現と龍の荒々しげな描写は対照的で、静寂さと力強い生命力を同時に感じることができます。

「雲龍図」は、余白を効果的に活用しつつ、動と静を巧みに融合させた作品であり、彼の絵師としての成熟を物語る一作といえるでしょう。

与謝蕪村
「猛虎飛瀑図」(1767年)
絹本着色、軸装一幅、115.0×135.0cm

俳人であった与謝蕪村(よさ ぶそん、1716~1784)は、独学で絵を学び、画家としても高い評価を得た人物です。俳句に絵を添えた「俳画」の様式を確立し、詩的な情緒を絵画表現にも取り入れることで独自の芸術世界を生み出しました。

本作「猛虎飛瀑図」が描かれた当時、本物の虎は日本にいなかったため、蕪村をはじめとする画家たちは輸入された虎の毛皮や敷物を参考に虎を描いたとされています。そのため、本作品の虎にも背骨の位置や眼の形状など解剖学的な正確さを欠く部分が見受けられます。

しかし、、竹を前景に配置した構図や、おそらく猫を参考にしたと考えられる虎のポーズなど、蕪村が趣向を凝らして虎を描いたことが見て取れます。虎の形態は画家の想像の域を出ませんが、それが却って独特な愛嬌を醸し出しイラストチックで親しみが沸く作品に仕上がっています。

竹内栖鳳
「金獅子図」(1906年)
絹本着色、軸装一幅、128.0×57.0cm

竹内栖鳳(たけうち せいほう、1864~1942)は、明治から戦前にかけて活躍した日本画家ですが、日本画家でありながら西洋画の影響を積極的に取り入れた革新的な画家として知られています。

1900年、パリ万国博覧会の視察という公務で渡欧した栖鳳は、西洋画の写実的な技法やヌードモデルの写生方法など、多くの新しい表現を現地で学びました。その中でも特に注目したのが動物の写生方法です。現地で出会った画家ジャン=レオン・ジェロームからライオンのスケッチを見せられた栖鳳は、その迫力に魅了され、滞在期間を延長して動物園でライオンの徹底的な観察と写生を行いました。

帰国後、栖鳳はライオンを題材とした作品を数多く制作しましたが、本作「金獅子図」はその代表的な作品の一つです。画面全体を埋め尽くすような構図で描かれたライオンは、大きな顔、勇ましい鬣、鋭い牙や爪など、観る者を圧倒するリアルな存在感を放っており、特に、画面奥から迫りくるような大胆な構図は秀逸で、力強さと動的な緊張感を同時に感じさせます。一見するとあっさりと描かれているようにも見えますが、その背景には入念な写生と構成があることが容易に想像できます。

当時の日本では、本物のライオンを見る機会はほとんどなく、多くの人々にとって「獅子」とは架空の存在である「唐獅子」を意味していました。そのため、栖鳳が描いたリアルなライオン像は、当時の日本人にとって驚きをもたらし、視覚的にも文化的にも新たな感動を呼び起こしたことでしょう。「金獅子図」は、栖鳳の独創的なアプローチと、伝統と革新の融合を象徴する作品として、日本画史において重要な位置を占めています。

竹内栖鳳
「猛虎」(1930年)
絹本着色、軸装一幅、169.8×72.0cm

竹内栖鳳は、写生を重視しながらも、描写においては筆数を抑え、簡潔な線で本質を表現する「省筆」の技法を追求した画家です。この技法は、彼の作品全体を特徴づける重要な要素であり、洗練された美しさと独特の表現力をもたらしています。

本作品「猛虎」もまた、この「省筆」の技法が如実に表れた一作です。「金獅子図」と同様の構図を持ちながら、シンプルな線描と鮮やかな色彩が目を引きます。虎の頭部の輪郭線は必要最低限にとどめられ、胸部にかけて描かれた毛並みには、柔らかな質感や温かみが感じられます。一方で、題名の「猛虎」が示すような獰猛さは一切なく、首を傾げながら上を見上げる虎の仕草には愛嬌があふれています。

栖鳳は、厳選された線を用いることで、鑑賞者に直接的かつ伝わりやすい表現を目指しました。この作品においても、虎の一瞬の仕草や表情を的確に捉えているところに、動物への深い愛情と観察眼が感じられます。

紹介した作品は所蔵品のうちの極一部です。上記作品を含め所蔵品は企画展ごとに入れ替えがありますので、美術館を訪れる際にはHP等を確認することをお勧めします。福田美術館HP

フランス近代絵画

美術館創設にあたって、創設者の福田吉孝は小規模ながら、モネやピサロなどのフランスの近代絵画も収集しています。

クロード・モネ
「プールヴィルの崖、朝」(1897年)

油彩、カンヴァス、640×990cm

モネは幼いころ、フランスのノルマンディー地方のル・アーヴルという場所で過ごしたため、ノルマンディー地方に愛着がありました。なかでも、ディエップ郊外にあるプールヴィルはお気に入りの場所だったようで、何度か訪れ現地にある断崖を描きました。本作品はそのうちの一点になります。

カミーユ・ピサロ
「エラニーの積み藁と農婦」(1885年)

油彩、カンヴァス、60.0×79.0cm

1884年、印象派の画家カミーユ・ピサロは、パリ北西にあるエラニー村に移住し、終生そこで暮らしました。本作品はエラニー移住後に描かれたものです。

印象派特有の明るさで、外光に対して素直に描かれている印象です。初期の絵に比べて細かい筆致であることが特徴的ですが、この後新印象派の点描技法に出会うことで、さらに精緻で細かな点描の画風になっていきます。



フランス近代絵画のコレクションは常設展示されていません。美術館を訪れる際にはHPをご確認ください。福田美術館HP

福田美術館の基本情報

所在地:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町3−16

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次