アーティゾン美術館について
東京駅八重洲中央口から徒歩5分ほどの場所に位置するアーティゾン美術館は、2020年に開館した新しい美術館です。その前身であるブリヂストン美術館は、2015年に建物の建て替えに伴い閉館しましたが、新築ビルに再び生まれ変わり、現代的な空間とともに新しい名称で再出発しました。「アーティゾン」という名称には、芸術(Art)と地平(Horizon)を組み合わせた造語で、そこには「時代を切り拓くアートの地平を多くの方に感じ取ってもらいたい」という理念が込められています。
また、美術館はオフィスビル内にありながら、展示室の延床面積は6,715平方メートルと広大で、訪れる人々に充実した美術鑑賞の場を提供しています。
石橋財団コレクション
アーティゾン美術館の所蔵品は、石橋財団コレクションを基盤としており、その源泉はブリヂストンタイヤ株式会社の創業者であり、石橋財団の創設者でもある石橋正二郎(1889–1976)が収集した美術作品にあります。
石橋正二郎は、コレクションを集め始めた当初、同郷の洋画家である青木繁の作品に特に力を注ぎました。その結果、美術館には青木の代表作であり重要文化財にも指定されている「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」などの作品が収蔵されています。
さらに、石橋財団コレクションは青木繁の作品にとどまらず、日本近代洋画、フランス印象派、抽象絵画、日本や東洋の伝統美術、古代オリエントやギリシア・ローマ美術まで、多岐にわたるジャンルの名品を含みます。国内外問わず質の高い美術作品をそろえているコレクションは、鑑賞者に様々なインスピレーションを与えることでしょう。
では、コレクションの絵画作品の中から何点か紹介していきます。
所蔵作品紹介
レンブラント・ファン・レイン
「聖書あるいは物語に取材した夜の情景」(1626~1628年)
「聖書あるいは物語に取材した夜の情景」(1626~1628年)
本作は、「光の画家」として知られるレンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn, 1606~1669)が20~22歳という青年期に描いた作品です。若くして才能を発揮していたレンブラントは、すでにこの頃から弟子を抱えるほどの画家としての地位を築いていました。本作でも、彼の光と影を操る非凡な技術が際立っています。
画面左端に描かれた焚火の光が暗闇をやわらかく照らし、人物の位置関係を巧みに表現しています。また、中央の人物の鎧に反射するハイライトや、逆光により浮かび上がる手前の人物の表現などには、光源を効果的に活用するレンブラントの成熟した技法見出すことができます。この「光と影」の劇的な演出により、画面全体に奥行きと緊張感が生まれ、鑑賞者は深い物語性の中へ引き込まれることでしょう。
一方で、本作には左端が切断された痕跡が見られます。この欠損により、描かれている場面のテーマを特定することが困難となり、現在のタイトルもあいまいなものにとどまっています。しかし、場面の完全な特定が難しいながらも、登場人物の表情や動き、光が照らす場面のドラマ性から、作品全体に人間的なドラマが込められていることは明白です。
エドゥアール・マネ
「帽子をかぶった自画像」(1878~1879年)
「帽子をかぶった自画像」(1878~1879年)
フランス印象派の先駆者として知られるエドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832~1883)は、多くの人物画を残しながらも、自画像は非常に少なく、確認されているのはわずか2点のみです。そのうちの一つが本作「帽子をかぶった自画像」です。
本作では、一般的な胸から上の構図ではなく、全身を描くという珍しい形式が採用されています。これにより、マネが自身の姿を冷静かつ客観的に捉えようとした意図がうかがえます。多くの画家が自画像において内面の表現を重視するのに対し、マネは一歩引いた視点で自らを描き出しており、その姿勢に独特のリアリズムが感じられます。
この絵が制作されたのはマネの晩年、梅毒による健康状態の悪化が顕著だった時期にあたります。特に末期症状として左足に痛みを抱えていたため、本作でも右足に重心をかけたポーズが見て取れます(自画像は鏡像であるため左右が逆になります)。こうした身体的苦痛の中でも、マネは創作への情熱を失わず、「フォリー・ベルジェールのバー」などの傑作を生み出し続けました。
病に苦しみながらも、毅然とした姿で立つ本作のマネには、画家としての矜持と揺るぎない決意が表れています。彼が自身をこのように描いたのは、単なる外見の再現にとどまらず、自らの人生や芸術への態度を象徴的に示そうとしたからにほかなりません。見る者に強い印象を残すこの自画像は、マネという画家の内面を暗示する、静かでありながら力強い一枚です。
カミーユ・コロー
「森の中の若い女」(1865年)
「森の中の若い女」(1865年)
フランスの画家・カミーユ・コロー(Camille Corot,1796~1875)は、バルビゾンの画家として風景画を主に描いたことで知られています。しかし、本作「森の中の若い女」のように人物画においても優れた作品を残しています。
本作品では背景に森の風景が描かれ、コローの風景画を思い起こさせる叙情的な雰囲気を醸し出しています。しかしその背景はディテールが抑えられており、人物とやや分離している印象を与えます。これは、モデルを屋外の自然光の下で描いたのではなく、アトリエ内で制作したことによるものです。コローは、変化しやすい自然光ではなく安定した光環境を選ぶことで、モデルの表情や質感をより詳細に描写することに注力しました。
その結果、普段の風景画では得られないような写実性がこの絵には息づいています。モデルの柔らかな表情や滑らかな肌、そして布地の質感までもが生き生きと描かれており、鑑賞者を強く惹きつけます。
フィンセント・ファン・ゴッホ
「モンマルトルの風車」(1886年)
1880年、27歳で画家を志したフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh,1853~1890)は、バルビゾン派のジャン=フランソワ・ミレーに強く影響を受け、農民の生活や労働をテーマとした作品を描き始めました。その時期のゴッホの作品は、暗い色調と重厚な筆致を特徴とし、後に知られる鮮やかな画風とは対照的なものでした。しかし、その画風に大きな転機が訪れるのは、1886年に画商であった弟テオを頼ってパリに移り住んでからです。
パリでの印象派の画家たちとの出会いは、ゴッホにとって新たな芸術的刺激となります。ゴッホは印象派の画家たちがそうしたように、アトリエを飛び出して自然光の下で風景を描くようになり、彼のパレットは次第に明るくなっていきました。
本作「モンマルトルの風車」も、その過渡期を示す重要な作品の一つです。パリのモンマルトルは、当時まだ自然の風景が残る地域でありながら、芸術家たちの拠点として賑わいを見せていました。この作品では、柔らかな光が描き出す明るい空や、風車を中心としたモンマルトルの素朴な風景が捉えられており、ゴッホが外光の中で新たな鮮やかさを発見していく過程がうかがえます。
さらに、この時期のゴッホは日本の浮世絵にも強い影響を受けました。浮世絵の大胆な構図や明快な色彩は、ゴッホの芸術観を一層変化させ、彼の画風に新たな方向性をもたらします。「モンマルトルの風車」にはまだその影響はみられませんが、浮世絵の影響はその後のゴッホの作品において、構図や色彩、そしてテーマの選択にまで大きな影響を与えることになります。
ゴッホがパリで過ごした期間はわずか2年に満たないものでしたが、この短い時間は彼の画家人生において極めて重要な転換点となりました。暗い色調の初期作品から鮮やかな色彩の印象派的な作品へと進化し、さらにはその後の南仏アルルでの独自の画風へとつながる、その基盤が築かれた時期でもあります。「モンマルトルの風車」は、彼の画業の中でも変化と探求の過程を象徴する貴重な作品といえるでしょう。
青木繁
「海の幸」(1904年)
「海の幸」(1904年)
青木繁(あおき しげる、1882~1911)の代表作として真っ先に挙げられるのが、本作「海の幸」です。本作品は青木の死後、散逸の危機に瀕していた彼の作品を守るため、友人であり良きライバルでもあった坂本繁二郎のすすめにより、石橋正二郎(アーティゾン美術館の前身であるブリヂストン美術館の創立者)によって購入されました。この経緯により、アーティゾン美術館は「海の幸」のほかにも、青木の「わだつみのいろこの宮」や「大穴牟知命」などの名作を収蔵しています。
1904年、東京美術学校西洋画科を卒業したばかりの青木は、坂本繁二郎や森田恒友らとともに千葉県館山の布良海岸を訪れ、約1か月半の写生旅行を行いました。本作「海の幸」は、この旅行中に構想され、制作されたものです。
横長のカンヴァスには、陸揚げされたサメを担ぐ漁師たちが描かれています。漁師たちの行列は粗い筆致によりダイナミックに描かれている一方、全員が裸体で横を向く様はどこか記号的で古代エジプトの壁画を思い起こさせます。そこには布良海岸の風土や文化を象徴的に描こうという意図が感じられますが、地域的な風俗を記録する以上に、「自然と共存しながら生きる人間の姿」という普遍的なテーマを追求しているようにも思えます。
さらに注目すべき点は、画面中央右側に描かれた、鑑賞者をまっすぐに見つめる一人の人物です。この人物だけが横顔ではなく正面を向いていることで、作品全体に刹那的な緊張感と静寂が生まれています。その表情は中性的であり、モデルは青木の恋人であった画家の福田たねであるという説がよく語られます。実際、福田たねがモデルを務めた「大穴牟知命」のサガイヒメの顔と似ていることからも、この推測には一定の説得力があります。しかし、これを裏付ける確実な証拠は存在せず、青木がなぜ恋人の顔を漁師のモデルに用いたのか、その意図は謎に包まれています。それでも、この人物のミステリアスな視線は、鑑賞者の心を強く惹きつけ「海の幸」の魅力をより一層強いものにしています。
安井曾太郎
「水浴裸婦」(1914年)
「水浴裸婦」(1914年)
安井曾太郎(やすい そうたろう、1888~1955)は、大正から昭和にかけて活躍した洋画家で、日本の近代洋画界に大きな足跡を残しました。10代後半に渡欧した安井は、7年間にわたるフランス留学の中で、ポール・セザンヌに深く傾倒すると同時に、南仏のカーニュに住むオーギュスト・ルノワールを訪ね、その作風にも影響を受けました。
本作品「水浴裸婦」は、フランスから帰国する直前に描かれた大作で、森の泉で水浴を楽しむ裸婦たちを描いています。柔らかく滑らかな筆致によって表現された裸婦の肌は、木漏れ日に照らされて一層温かみを帯び、全体に漂う雰囲気はルノワールの「大水浴図」を想起させます。また、輪郭線の強調された布や岩肌などのゴツゴツとした表現にはセザンヌの影響が明確に感じられます。安井が留学生活の中で両者の作風を吸収し、それを自らの作品に生かしていたことがよく伝わってきます。
ただし、本作は単なる模倣にとどまりません。裸婦の輪郭は明確でありながらも巧みに強弱がつけられており、光や色彩を巧みに用いることで背景の森と一体化させ、全体に調和の取れた構図を実現しています。このような描写からは、印象派の手法に学びつつも、そこに安井自身の感性を積極的に取り入れ、独自の画風を模索する姿勢が感じられます。
関根正二
「子供」(1919年)
「子供」(1919年)
関根正二(せきね しょうじ, 1899~1919)は、大正時代に活躍した日本の洋画家で、その早熟な才能から後世に強い影響を残した画家として知られています。関根は結核により20歳の若さでこの世を去りましたが、その短い人生の中で、特に人物画において数々の名作を生み出しました。
本作「子供」は関根が亡くなる年に描かれた作品で、水色の背景と朱色の着物が鮮やかな補色効果を生み出しており、観る者に強烈な印象を残す作品です。絵全体の粗い筆致とは対照的に、少年の顔は繊細なタッチで描かれており、関根が少年の表情に注力して描いたことが窺えます。少年の表情は一見あどけないものですが、その遠くを見つめる眼差しには、どこか神秘的で奥深いものを感じることができるでしょう。
関根の作品のサインについても注目すべき点があります。通常は「S.Sekine」と英語でサインをしていた彼ですが、少年や少女を描いた際には「Masaji」とサインをすることがありました。本作にも、画面左側の中ほどに黄文字で「Masaji」と記されています。これは本名の「せきね まさじ」から来たものであり、関根が子どもを描く際に特別な思いを込めた可能性を示唆しています。
子供たちの純朴な姿の中に、かつての自分自身を重ね合わせた結果、これらの作品が半ば「自画像」のような形となったという解釈もできますが、実際のところ何故関根がこのような特別なサインをしたのか正確な理由はわかっていません。
満谷国四郎
「坐婦」(1913年)
「坐婦」(1913年)
満谷国四郎(みつたに こくしろう、1874~1936)は明治中期から昭和初期にかけて活躍した日本の洋画家です。満谷の初期の画風は写実的でアカデミックなものでしたが、1911年に大原孫三郎(大原美術館の創立者)の援助によりヨーロッパに留学し、ジャン=ポール・ローランスに学びました。満谷はそれまでの堅実で写実的な画風から、フランス印象派にみられる平面的な画風へ転じていきます。
本作「坐婦」はその画風の転換期に制作されたもので、椅子に座る女性が印象派的な粗い筆致で描かれています。室内の人物画というありがちなテーマながら、人物よりも室内の光や空間の自然的な表現に注力したことが窺える作品で、必要最低限の筆致で表現されるその穏やかな雰囲気には、画家の非凡さが見て取れます。
紹介した作品は所蔵品のうちの極一部です。上記作品を含め展示作品は入れ替えがありますので、美術館を訪れる際にはHP等を確認することをお勧めします。→アーティゾン美術館HP
アーティゾン美術館の基本情報
所在地:東京都中央区京橋1丁目7−2
アクセス | JR東京駅八重洲口から徒歩5分 |
料金 | 展覧会ごとに異なる。 webにて日時指定予約制で販売。webチケットが完売していない場合のみ窓口で購入可能。要確認→アーティゾン美術館HP |
開館時間 | 10:00~18:00 祝日を除く毎週金曜日は20:00まで (最終入館は閉館30分前まで) |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は開館し翌平日は振替休日) 展示替え期間 年末年始 |
参考文献・サイト
・橋富博喜ほか「朝日・美術館風土記シリーズ 青木繁と石橋美術館」 朝日新聞社 1983年5月1日発行
・酒井忠康監修「関根正二画文集・雲の中を歩く男」 求龍堂 2000年6月8日発行
・安房文化遺産フォーラム 森山秀子「青木繁《海の幸》をめぐって」 https://awa-ecom.jp/bunka-isan/wp-content/uploads/sites/9/2015/08/%E2%91%A2%E6%B5%B7%E3%81%AE%E5%B9%B8%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%81%A3%E3%81%A6%EF%BC%88%E6%A3%AE%E5%B1%B1%E7%A7%80%E5%AD%90%EF%BC%89_compressed.pdf 2024年12月27日参照
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