尾道は広島県の東部に位置し、「尾道ラーメン」や「しまなみ海道」で知られ、また小津安二郎監督や大林宜彦監督の作品にも登場し「映画の街」としても有名です。
尾道市街は南側を海(尾道水道)、北側を山で挟まれており、
海を行けば「しまなみ海道」へ通じ、山へ行けば「坂の街」を散策できます。
また「坂の街」にはお寺も多いため、迷路のような道を散策しながら古寺巡りも可能です。
今回はそんな尾道からおすすめの美術館「尾道市立美術館」と「なかた美術館」をご紹介します。
ちなみに「しまなみ海道」にも美術館は複数存在します。過去記事にて紹介していますのでよろしければどうぞ↓
尾道市立美術館
尾道市立美術館の所在:広島県尾道市西土堂町17-19(千光寺公園内)
アクセス | ・JR尾道駅より車で約15分 ・JR尾道駅・東行きバス(1番乗り場)に乗車→「長江口」下車→千光寺ロープウェイ→千光寺公園 |
料金 | 常設展示なし、展覧会により異なる ※中学生以下は無料 |
開館時間 | 9:00~17:00(入館は16:30まで) |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は開館)、12月29日~1月3日、展示替期間中 |
JR尾道駅裏の山頂から中腹にかけて千光寺公園があり、その中に尾道市立美術館はあります。
車で登ってアクセスすることも可能ですが、体力がある方は駅裏から「坂の街」を散策しながら登ってみることをお勧めします。どこか昭和の匂いがする「坂の街」を迷路のような小路を通って散策できます。
美術館まで距離にして1㎞程度ですが上り坂が続くので30分程度かかります。疲れます。
尾道市立美術館の所蔵品
尾道市にゆかりのある作家「小林和作」や「平田玉蘊」の作品や、バルビゾン派の「ジュール・デュプレ」「エマニュエル・ダモア」等の海外作家の作品も所蔵しています。
ちなみに常設展示はなく、定期的にテーマを変えながらコレクション展として展覧会を開催しているようです。
なかた美術館
なかた美術館の所在地: 広島県尾道市潮見町6−11
アクセス | ・徒歩:JR尾道駅5分 ・バス:JR尾道駅より桜土手経由全便「なかた美術館前」下車→徒歩1分。JR新尾道駅より栗原経由全便「栗原1丁目」下車→徒歩3分 |
料金 | 一般:\800 学生:¥300(尾道市内の学校に通う学生は学生証の提示で観覧料無料となる) |
開館時間 | 9:00~17:30(入館は17:00まで) |
休館日 | 毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)夏期・年末年始、展示替え日 |
JR尾道駅から西へ移動し桜土手と呼ばれる並木通りに「なかた美術館」はあります。
美術館は住宅地に囲まれており、一見オフィスのように見えます。それもそのはず、運営主体の「ナカタ・マックコーポレーション」の本社の所在地でもあるため美術館(1F~2F)より上階はおそらく本社オフィスになっているのでしょう。
なかた美術館は1997年に開館。船舶塗装業「ナカタ・マックコーポレーション」元社長・中田貞雄氏が収集したピカソやシャガール、藤田嗣治等のフランス近代絵画や、梅原龍三郎、小林和作等の日本近代絵画を所蔵しています。
また、フランスの洋画家「ポール・アイズピリ」作品の所蔵数では日本有数の美術館です。
小型~中型の手ごろな大きさの作品が多く、展示数もまずまず。尾道市街の中心から外れているため混雑を避けてゆっくりと鑑賞を楽しめます。
展示エリアの監視スタッフの配置がなかったため、人目を気にせず鑑賞できました。
また、額縁にガラス板が付いていない作品が多いです。油絵は特に反射して見えにくい場合がありますのでとても有難いですね。
鑑賞者への細かな配慮が感じ取れます。
1Fロビーにはチェンバロやピアノがあります。クラシックやジャズのコンサートを開催されているそうです。
おまけ。古寺巡り
尾道は中世より港町として繁栄し、商業で栄えました。その中で、多くの寺や神社が寄進し造られたとされています。
前述したように山と海が近いため、坂の街の中に古寺が点在しており海を眺めながら古寺を散策できます。
かなり範囲が広いため体力がいりますが、それぞれの古寺から眺める市街や尾道水道はとても美しく、「坂の街」尾道でしか味わえない貴重な体験ができます。
数ある古寺の中から2つ「済法寺」と「浄土寺」を紹介します。
済法寺
済法寺はJR尾道駅から北へ徒歩約10分の場所にあります。
拳骨和尚こと「武田物外」が9代目の住職を務めていた寺です。
武田物外は怪力僧侶として知られ、5トンもの釣鐘を持ち上げたり、あの新選組の近藤勇を托鉢の椀だけで打ち負かした等の逸話があり、僧らしからぬ僧だったそうです。
幕末には幕府と長州藩の調停に尽力し、無駄な争いを行わないよう長州征討の中止を孝明天皇に嘆願する等、太平を強く願っていた人物でもあります。
浄土寺
浄土寺は616年、あの聖徳太子が開いたとも伝えられており、かなり古くからある寺です。
中世では、豊島河原合戦で敗れた足利尊氏が九州まで落ち延びる際に、浄土寺本堂にて戦勢挽回を祈願し1万巻の観音経を読経したとされおり、
浄土寺では現在でも足利氏の家紋「二つ引門」を寺紋として使い続けています。
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