アーティゾン美術館の見どころ|印象派から日本の名画まで堪能できる東京・京橋の穴場

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東京駅の八重洲中央口から歩いて5分ほど。
ビジネス街のど真ん中に、ひっそりと、それでいてしっかり存在感を放つ「アーティゾン美術館」があります。

この美術館、2020年にオープンしたばかりの新しいスポット。以前は「ブリヂストン美術館」として親しまれていましたが、2015年にビルの建て替えで一時閉館。そして新たに建て替えられたモダンなビルとともに、名前も「アーティゾン美術館」として再スタートを切りました。

「アーティゾン(Artizon)」という名前、実は造語で、Art(芸術)Horizon(地平)の意味が込められているそうです。「アートの新しい地平を切り拓く」という想いが詰まっているんですね。

美術館はオフィスビルの中にあるとは思えないほど広々としていて、展示室の総面積はなんと6,700平方メートル超。空間もゆったり、照明や導線の工夫も行き届いていて、じっくり作品と向き合える場所です。

アーティゾン美術館5
アーティゾン美術館3
アーティゾン美術館2
アーティゾン美術館4
アーティゾン美術館1
アーティゾン美術館6
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目次

石橋財団コレクション

アーティゾン美術館の魅力は、その展示空間だけではありません。展示の中核をなすのは「石橋財団コレクション」。これは、ブリヂストンタイヤの創業者・石橋正二郎(1889–1976)が長年かけて集めた貴重なアートの数々です。

最初に力を入れたのは、彼の出身地・久留米にゆかりのある洋画家、青木繁の作品。中でも代表作「海の幸」「わだつみのいろこの宮」は、重要文化財としても知られています。実際に観ると、そのエネルギーに圧倒されるはず。

このコレクションのすごいところは、青木繁だけにとどまらない点。日本の近代洋画はもちろん、フランス印象派、抽象画、さらに東洋美術や古代オリエント・ギリシア美術にまで及ぶ、まさにジャンル横断のラインナップ。
一つの美術館でこれだけ多彩な作品を味わえる場所って、東京でもなかなかないと思います。


収蔵作品ピックアップ:アーティゾンで出会える名画たち

アーティゾン美術館の収蔵作品は石橋財団のコレクション約3,000点で成り立っています。
特に近代絵画の充実ぶりは国内屈指。名だたる巨匠たちの作品がそろっていて、見どころ満載です。

今回はその中から選りすぐりの作品を何点か紹介していきましょう。

※紹介する作品は常に展示されているわけではないので、お目当ての作品がある場合には、事前に美術館HPで確認することをお勧めします。→アーティゾン美術館HP


レンブラント・ファン・レイン
《聖書あるいは物語に取材した夜の情景》(1626~1628年)

油彩、銅板、22.1×17.1cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn,1606~1669)

オランダの巨匠・レンブラントが20代前半、まだ駆け出しだったころに描いた1枚。
とはいえ、この若さで既に「光の魔術師」と呼ばれる片鱗がバッチリ表れています。

画面左の焚火の灯りが、周囲の人物をほんのり照らしていて、その明かりの当たり方がとにかくうまい。たとえば、中央の人物の鎧にキラリと反射する光や、逆光で浮かび上がる手前の人物のシルエットなど、一つひとつの光と影がドラマチック。画面の中に物語がうごめいているような、そんな緊張感があります。

ちなみにこの作品、画面の左端がカットされていて、もともとの構図が完全には残っていません。そのため、正確に「何の場面か」はわかっていないのですが、登場人物たちの表情や動き、空気感だけでも十分に“物語”が伝わってくる一枚です。


エドゥアール・マネ
《帽子をかぶった自画像》(1878~1879年)

油彩、カンヴァス、95.4×63.4cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
エドゥアール・マネ( Édouard Manet,1832~1883)

印象派のパイオニアとして名を残すマネですが、実は自画像をほとんど描いていないことは意外と知られていません。確認されているのはたったの2点。そのうちのひとつが、この《帽子をかぶった自画像》です。

ふつう、自画像というと上半身だけの構図が多いですが、これは珍しく全身像。立ち姿のマネがこちらをじっと見つめています。内面をえぐるような“自己探求”というよりは、少し距離を置いたような、冷静な視線で自分自身を見つめているような印象です。

実はこの絵が描かれたのは、マネが晩年にさしかかっていた時期。彼は当時、梅毒の進行で体調がかなり悪化していました。特に左足の痛みがひどく、絵の中のポーズも右足(作品では左足。自画像は鏡像なので左右が逆)に体重をかけているように見えます。

それでもマネは筆を止めず、あの名作《フォリー・ベルジェールのバー》を完成させたのも同じ頃。病を抱えながらも、最後まで情熱的に創作に向かう強さは、この自画像からもしっかり伝わってきます。

無駄な演出はなく、ただ静かに、でも確かな覚悟をにじませて立っているマネ。そこには「画家として最後まで生きる」という強い意志が感じられます。静かだけど、心にズシンと響く1枚です。

コートールド・ギャラリー蔵
《フォリー・ベルジェールのバー》(1882年)

クロード・モネ
《黄昏、ヴェネツィア》(1908年頃)

油彩、カンヴァス、73.0×92.5cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
クロード・モネ(Claude Monet,1840~1926)

光の画家・モネが、妻アリスとともにヴェネツィアを旅したときに描いた一枚。
夕暮れどき、空はだんだんと闇に包まれ、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂のシルエットが水面に浮かぶ——そんな幻想的な瞬間が、キャンバスいっぱいに広がっています。

オレンジ、イエロー、ブルー……一見、色鮮やかに見えるこの作品ですが、そこには単なる派手さではなく、モネ特有の“自然の光のうつろい”が丁寧に描き込まれています。まさに「印象派の真骨頂」と言える一枚。

この絵が描かれた頃、モネは白内障を患い、視力が徐々に落ちていました。
その影響もあってか、空気のように淡く、どこか夢の中のようなぼやけた雰囲気が漂っています。実際、晩年のモネ作品には「色が濃くなる」「輪郭が曖昧になる」といった特徴が見られますが、それが逆に画面に独特の詩情を与えているとも言われます。

夕暮れの静けさ、そして過ぎゆく時間の儚さ——。
この一枚には、視界がかすんでいく中でもなお光を追い求めた画家の執念、老いに抗いながらも筆をとり続けたモネの静かな情熱が、確かに宿っているように感じます。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
画像:by Didier Descouens

カミーユ・コロー
《森の中の若い女》(1865年)

油彩、板、54.7×38.9cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
カミーユ・コロー(Camille Corot,1796~1875)

カミーユ・コローといえば、バルビゾン派の風景画家として知られています。
ですがこの《森の中の若い女》を前にすると、「人物画もこんなに素晴らしかったのか!」と思わず見直したくなるほどの静かな存在感があります。

背景には森の風景。けれど、よく見ると背景はぼんやりと抽象的で、モデルの女性とやや分離しているように感じられます。
実はこの絵、風景画のように森の中で描かれたわけではなく、アトリエの中で構成されたもの。コローは移ろいやすい自然光ではなく、安定した光の中でモデルを描くことで、表情や質感をじっくりと捉えたんですね。
人物の肌のやわらかさや布の質感までが驚くほど繊細に表現されています。

コローの風景画が“空気感”を描くものだとすれば、この絵から感じるのは確かな“存在感”。
モデルの穏やかなまなざし、肌のぬくもり、衣服の重みまでがじんわりと伝わってきて、気がつけば足が止まり、時間も忘れて見入ってしまいます。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《モンマルトルの風車》(1886年)

油彩、カンヴァス、48.2×39.5cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh,1853~1890)

ゴッホといえば、強烈な色彩と渦を巻くような筆致が印象的ですが——
実は彼がそんなスタイルにたどり着くまでに、その画風は大きく変遷していきました。

画家を志したのは27歳とやや遅咲き。そのころのゴッホは、バルビゾン派のミレーに影響を受け、農民の暮らしや労働をテーマにした作品を描いていました。色味は暗く、タッチも重め。いわゆる色彩鮮やかな「ザ・ゴッホ」とはかなり印象が違います。

ファンゴッホ美術館蔵
《ジャガイモを食べる人々》(1885年)

そんな彼に転機が訪れたのが、1886年。弟テオを頼ってパリへ移ったことで、印象派の画家たちと出会い、絵の世界がガラリと変わっていきます。

この《モンマルトルの風車》は、ちょうどその“変わり始めたタイミング”に描かれた作品。
当時のモンマルトルは、まだ自然の風景が残っていたエリアで、芸術家たちのアトリエも集まる活気のある街でした。

柔らかな空の色、穏やかに佇む風車、空気の中にふわっと光がにじむような描写——
そこには、アトリエを飛び出して自然光の下で絵を描き始めたばかりのゴッホの、新しい表現への“手探り感”と“ときめき”が詰まっています。

ちなみにこの頃、ゴッホは日本の浮世絵にも大きく影響を受けていて、大胆な構図や明るい色使いに強く惹かれていきました。

パリでの2年足らずの生活は、ゴッホにとってまさに進化の助走期間
この《モンマルトルの風車》には、暗い時代から色彩の世界へ向かって歩き出す、ゴッホの「転換点」がしっかりと刻まれています。


青木繁(あおき しげる)
《海の幸》(1904年)【重要文化財】

油彩、カンヴァス、70.2×182.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
青木 繁(あおき しげる、1882~1911)

青木繁といえば、やっぱりこの《海の幸》です。彼の代表作といえばまずこれ、というくらい有名な一枚。

実はこの作品、一度は散逸の危機にさらされていたんです。
でも、青木の友人であり良きライバルでもあった坂本繁二郎が、「これは絶対に残すべきだ」と声を上げたことで、石橋正二郎(ブリヂストン美術館の創設者)が購入。
そのおかげで、今こうしてアーティゾン美術館で観られるわけですね。

しかも《海の幸》だけじゃなく、《わだつみのいろこの宮》や《大穴牟知命》といった青木の傑作もずらりと収蔵。ファンにはたまらないラインナップです。


さてこの《海の幸》、描かれたのは1904年。
東京美術学校を卒業したばかりの青木が、仲間と一緒に千葉・館山の布良(めら)海岸で過ごした、写生旅行の最中に生まれた作品です。

画面いっぱいに描かれているのは、サメを担いで列をなして歩く裸の漁師たち。
筆致は粗く、勢いのあるタッチで描かれつつ、全体にはどこか神秘的な空気もただよっています。みんなが横を向いて並んでいるその姿は、まるで古代エジプトの壁画のよう。

この絵から伝わってくるのは、ただの“写生”ではなく、布良の土地に根ざした文化や空気感を、象徴として切り取ろうとした青木の想い。
もっと深く解釈すると、「自然とともに生きる人間」という普遍的なテーマを描こうとしていたのかもしれませんね。


まっすぐ見つめる人物

正面を向く漁師

そしてもうひとつ、ぜひ注目してほしいのが、画面の右寄りにいる一人の人物。
この人だけが、他の漁師と違ってこちらをじっと正面から見つめているんです。

その視線は鋭くもあり、どこか中性的で、静かな緊張感を漂わせています。
モデルは青木の恋人だった画家・福田たねでは?と言われていて、彼女がモデルを務めた《大穴牟知命》のサガイヒメとも顔がよく似ています。

とはいえ、明確な証拠はないし、なぜ漁師の中に恋人の顔を描いたのか、その理由も謎のまま。
でも、このミステリアスな存在感があることで、《海の幸》は単なる漁師の絵では終わらず、観る人の心に深く残る作品になっているのかもしれません。

アーティゾン美術館蔵
《大穴牟知命》のサガイヒメ

安井 曾太郎(やすい そうたろう)
《水浴裸婦》(1914年)

油彩、カンヴァス、128.0×193.0cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
安井 曾太郎(やすい そうたろう、1888~1955)

安井曾太郎といえば、日本の近代洋画史においては欠かせない存在。
大正から昭和にかけて活躍し、洋画の可能性をぐっと広げた画家のひとりです。

そんな安井がフランスに渡ったのは10代後半。なんと7年間も留学していたんですね。
その中で安井は本場の洋画家たちに大きく影響されました。なかでも、セザンヌとルノワールは安井にとって特別な存在だったようです。


この《水浴裸婦》は、その留学の終わりごろに描かれた大作。
森の泉で水浴びをする裸婦たちが、やわらかな光の中でのびのびと描かれています。

肌の表現はとてもなめらかで、木漏れ日を浴びた体がふわっと温かく感じられるほど。
この雰囲気、どこかで見たような……と思った人は鋭い。そう、ルノワールの《大水浴図》を思い起こさせるんです。

その一方で、背景の岩や布のカッチリとした質感は、セザンヌのような構築的な描き方。
柔らかさと力強さが同居していて、まさに「影響を受けた2人の巨匠のいいとこ取り」といった印象です。

フィラデルフィア美術館蔵 ルノワール作
《大水浴図》(1884~1887年)

とはいえ、本作は単なる巨匠の真似ではありません。
輪郭線の強弱や色のバランスが見事で、背景の森と人物が自然に溶け込むように描かれています。
印象派っぽさはありつつも、どこか理知的で、空間の構成もしっかりしている。

そこにあるのは、模倣ではなく、「学びながら、自分の絵を見つけよう」としていた安井のまなざし。
フランスで吸収したものを、自分なりに消化して形にしたその姿勢が、この一枚からしっかりと伝わってきます。


関根 正二(せきね しょうじ)
《子供》(1919年)

油彩、カンヴァス、60.9×45.7cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
関根 正二(せきね しょうじ、1899~1919)

関根正二は、20歳という若さでこの世を去った、まさに“伝説”の洋画家。
活動期間はわずか数年でしたが、その濃密すぎる作品群は、今なお多くの人を魅了し続けています。

この《子供》も、彼が亡くなった1919年に描かれた一枚。
水色の背景に、朱色の着物がピリッと効いたビビッドな色づかいが印象的で、目に飛び込んできた瞬間にハッとさせられる作品です。

全体的には粗めの筆致なんですが、少年の顔だけは別。繊細なタッチで丁寧に描かれていて、彼のまなざしに自然と吸い寄せられます。
表情はあどけないようでいて、でもその目線の先には何かを見つめるような、不思議な深さがありますね。


そして、この作品にはもうひとつ面白いポイントがあります。
関根はふだん、「S. Sekine」と英語でサインを入れていたのですが、少年や少女を描いたときだけ、「Masaji」というサインを使うことがあったんです。

この絵にも、画面の左あたりに黄文字でその「Masaji」が確認できます。
これは本名「せきね まさじ」から取ったもの。どうやら子どもを描くときには、彼の中で特別なスイッチが入っていたのかもしれません。

もしかすると、子どもたちの純粋な姿に“かつての自分自身”を重ねていたのではないか?
そんなふうに考えると、この絵は一種の“自画像”とも言えるのかもしれません。

実際のところ、なぜこのようなサインを使い分けていたのか、正確な理由は分かっていません。
しかしだからこそ、この絵の中に潜む感情や意味を、観る人それぞれが想像する余地が残されている——それがまた、関根正二の絵の魅力でもあります。

サイン「1919 Masaji」
(英字は筆記体で記してあります)

満谷 国四郎(みつたに くにしろう)
《坐婦》(1913年)

油彩、カンヴァス、64.8×54.8cm
作品解説(クリックまたはタッチ)
満谷 国四郎(みつたに くにしろう、1874~1936)

満谷国四郎は、明治から昭和初期にかけて活躍した洋画家。
初期はわりとアカデミック寄りの“しっかり描く”タイプの写実派だったんですが、1911年にヨーロッパへ留学したことで大きな転機を迎えます。

留学を後押ししたのは、大原美術館の創設者・大原孫三郎。
フランスでジャン=ポール・ローランスに学んだ満谷は、それまでの緻密な画風から、フランス印象派に近い、ラフで平面的な表現へと変わっていきました。


この《坐婦(ざふ)》は、ちょうどその転換期に描かれた作品。
椅子に腰かける女性の姿を描いた、いわば“よくある構図”なんですが——そこに漂う空気感が、なんとも絶妙なんです。

女性の表情や細部を細かく描き込むというよりも、部屋の中に差し込む光や、静かな時間の流れを捉えようとしているのが伝わってきます。
筆致も粗めで、必要最低限。でもそれがいい。無駄がないからこそ、空間の余白や静けさが際立つような、そんな印象を受けます。

何でもない日常のひとコマなのに、どこか詩的で、しみじみと眺めてしまう——
そんな、派手さはないけどクセになる一枚です。


おわりに:静かにアートと向き合える場所

アーティゾン美術館には、名画や巨匠の作品がずらりと並んでいながら、どこか落ち着いた空気があります。
ガヤガヤした観光地ではなく、静かにアートと向き合える、大人の隠れ家のような場所

展示室は広く、照明や空間の取り方にもゆとりがあって、作品をひとつずつ丁寧に味わえる環境が整っています。
しかも、紹介した作品以外にもすぐれた作品がたくさん収蔵されています。展示替えがあるたびに新しい発見がありますよ!

「ちょっと美術館に行きたいけど、どこがいいかな」
そんなときにふと思い出してもらえるような、知る人ぞ知る美術館。

忙しい日常から少しだけ離れて、目と心で“いいもの”をじっくり味わう時間。
アーティゾン美術館は、そんな時間を過ごすのにぴったりの場所です。


アーティゾン美術館の基本情報

所在地:東京都中央区京橋1丁目7−2

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