【岡山アートの旅】高梁市成羽美術館で児島虎次郎の名画にふれてみよう

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岡山県の山あいにある高梁(たかはし)市。のどかな風景の中に、ひっそりと、それでいて存在感たっぷりに建っているのが「高梁市成羽美術館」です。

この美術館、実は1953年に開館した、地元ではかなり歴史ある存在。洋画家・児島虎次郎(こじま とらじろう)の功績をたたえるためにスタートしました。虎次郎は高梁市の出身で、大原美術館(倉敷)にも深く関わった人物として知られています。

今の建物は1994年に建て直されたもので、設計を手がけたのは世界的建築家・安藤忠雄氏。安藤建築といえば、やっぱり打ち放しコンクリート。ここでもそのスタイルが光っています。

南側には緑豊かな山が迫り、建物はその自然にすっと溶け込むように配置されています。まるで「静けさ」と「力強さ」が共存しているような、不思議な魅力を放つ美術館です。

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目次

児島虎次郎(こじま とらじろう)って?

児島虎次郎(1881~1929)

成羽美術館といえば、やっぱり外せないのが地元の誇り・児島虎次郎(こじま とらじろう)の存在。

1881年に高梁市で生まれた虎次郎は、日本に本格的な西洋美術を紹介したパイオニアのひとり。
日本で最初の西洋美術館・「大原美術館」のコレクションを、彼がヨーロッパで直接買い付けてきたって知ってました?
その目利きっぷりはすごくて、モネやゴーギャン、エル・グレコといった巨匠の作品も彼が日本に持ち帰ったんです。

児島虎次郎《勧信帳》

そして、彼自身も画家。
留学中には、ベルギーの美術アカデミーで学びながら油彩作品を数多く制作しました。

虎次郎の故郷である、ここ高梁市成羽美術館には、彼の作品が多数収蔵されています。
常に展示されているわけではありませんが、企画展などで定期的に登場しますので、ぜひ行ってみてください。

今回はその中から、注目の作品を何点か紹介していきます。


児島虎次郎の作品

登校》(1906年)

油彩、画布、132.3×111.1cm
作品解説

本作は、虎次郎が東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業後、研究科に進んでいた頃に描いた作品です。

タイトルの通り、登校中の少女たちがモチーフになっているこの一枚。自然光がふんわり差し込む中、少女たちの素朴な表情や、飾らないしぐさがとてもリアルに描かれています。

面白いのが、和服姿に洋傘やハットを合わせているところ。明治時代ならではの“和洋ミックス”な日常が切り取られていて、なんとも言えない温かみがあります。

また、構図も練られていて、人物とその影がL字型に配置されていることで、画面に安定感と奥行きが出ているんです。少女の視線が画面の右前方に向いているので、見る側の想像もふくらみます。

全体的に、静かだけど印象に残る、優しさのにじむ作品です。


グレー村の風景》(1908年頃)

油彩、画布、48.4×65.0cm
作品解説

1908年、児島虎次郎はヨーロッパ留学のためパリへ渡ります――が、到着からわずか1ヶ月ほどで腸チフスにかかってしまい、まさかの入院。いきなり波乱の幕開けです。

体調回復のため、彼はパリ郊外にあるグレー村という小さな田舎町に移ります。当初は「ちょっと静養のつもり」だったらしいのですが、すっかりこの地に惚れ込んでしまい、なんと約1年間も滞在することに。

そんなグレー村で生まれたのが、この《グレー村の風景》です。

画面いっぱいに広がる雲のうねり。その合間からのぞく青空と、地面に広がる赤土のようなオレンジ色。この色のコントラストがとにかく美しくて、まるで空と大地が静かに語り合っているような景色が広がっています。

この時代、フランスではフォーヴィズム(マティスとか)がバチバチに原色をぶつけ合っていたころ。でも、虎次郎の筆はそこには行かず、どちらかというと印象派寄り。

色彩は柔らかく、筆触もやわらかく、でもパリに来る前のアカデミックな描き方とは少し違う、ちょっと自由で空気感のあるタッチに変化しているのが見てとれます。

グレー=シュル=ロワン
画像:by Kurillos77

和服を着たベルギーの少女》(1910年)

油彩、画布、116.0×89.0cm
作品解説

1909年、虎次郎はパリからベルギーのゲントへと拠点を移します。ゲント美術アカデミーに通う中、出会ったのがベルギー印象派の画家・エミール・クラウス。彼との出会いが、虎次郎の画風に大きな影響を与えていきました。

その変化がよく表れているのが、この《和服を着たベルギーの少女》。

まず目に飛び込んでくるのが、なんといっても色。背景の織物にも負けないくらい、少女がまとっている着物が鮮やかで、しかもその色使いが大胆。まるで絵具のチューブから出した色をそのまま塗ったかのような、原色に近い鮮やかさです。

それだけじゃなく、筆のタッチにも勢いがあります。透明感よりも厚み重視で、しっかり塗り込まれた感じが力強い。少女の肌にも細かい筆触が重ねられていて、立体感と存在感がにじみ出ています。

日本で描いた《登校》と見比べてみると、あまりの違いにちょっと驚くはず。柔らかく写実的だった作風が、ここでは一気にエネルギッシュに進化。まさに、虎次郎が“海外の光と色”を自分の中に取り込んだ一枚です。


和服を着たベルギーの少女
大原美術館蔵
《和服を着たベルギーの少女》(1911年)

ちなみに、虎次郎がその創設にかかわった「大原美術館」には、本作と同じ題材の「和服を着たベルギーの少女」が収蔵されています。
興味のある方は倉敷の「大原美術館」にも行ってみてくださいね!


秋》(1913年)

油彩、画布、162.0×114.6cm
作品解説

ベルギーの印象派「リュミニスム」に学んだ児島虎次郎。
その画風は、印象派的な筆触分割を取り入れつつも、モチーフの形状を崩さず、「写実性」を重視するものでした。

しかし、1912年に日本へ帰国したときには、国内ではすでにポスト印象派のゴッホやゴーギャンが大人気。強烈な色彩やデフォルメされたフォルムがもてはやされている真っ最中で、虎次郎の作風はちょっと“地味”に見られていた時代でした。

でも、虎次郎は流行に流されません。むしろ、ベルギーで培った自分のスタイルを信じて、丁寧に、そして粘り強く描き続けます。


そんな彼の姿勢がよく現れているのが、この《秋》。

窓辺にたたずむ、和服をまとった女性。
その着物に使われた深い青色が印象的で、全体に落ち着きのある色調。でも「地味」なんかじゃありません。筆致は繊細で、色の重なりや光の捉え方には、確かな技巧と美意識がにじんでいます。

《和服を着たベルギーの少女》のような大胆なタッチとはまた違い、こちらはぐっと丁寧で緻密な描写。帰国後の虎次郎が、日本という風土の中で、自分の絵をどう定着させるかを模索していたことが伝わってくる一枚です。


酒津の秋》(1915~1917年)

油彩、画布、94.0×89.0cm
作品解説

この《酒津の秋》は、2016年になって成羽美術館に収蔵された、比較的新入りの一枚。

作品が描かれたのは、虎次郎がヨーロッパ留学を終えて日本に戻った後。
帰国後に結婚し、倉敷市酒津(さかづ)という地域に住むようになった虎次郎は、生活のなかの風景をしっかりと見つめていたようです。

画面の奥には、彼の住まいと思しき建物。そしてよく見ると、画面の下の方に、小さな人物がふたり。おそらく、妻と子どもでしょう。キャンバスの中に家族がいるというだけで、なんだかほっこりしてしまいます。

色づく木々、背景に広がる秋空。鮮やかだけどやさしい色合いが、穏やかで充実した暮らしぶりを物語っているようです。派手な演出もなく、ドラマチックでもない。でも、静かな幸福感がじんわりと伝わってくる、温もりのある一枚です。



その他の見どころも、実はスゴい。

高梁市成羽美術館といえば、児島虎次郎の作品が中心と思われがちですが、実はそれ以外にも注目すべき収蔵品があるんです。

エジプトコレクション

児島虎次郎といえば、モネやエル・グレコなど名画を日本に持ち帰った“西洋美術の目利き”として知られていますが、実はエジプト美術にもハマっていました。

それは、フランスの骨董店で購入したものに始まり、第3回目の渡欧では実際にエジプトに寄ってまでして、エジプトコレクションの収集を行っています。

現在、成羽美術館にあるエジプトコレクションの大半はそのときの戦利品。木棺の破片や装飾品、小像など、3000年以上前のエジプトの文化に触れられる貴重な品々が眠っています。

※このエジプト展示は常設ではないので、実物を見たい方はぜひ事前に公式サイトで展示情報をチェックしておきましょう。▶高梁市成羽美術館HP


成羽の植物化石

実はこの“成羽”という地域、
アートだけじゃなく 化石の宝庫でもあるって、ご存じでしたか?

高梁市成羽美術館には、近隣で発掘された植物の化石が常設展示されているコーナーがあって、実物の標本を間近で見ることができます。

なかでも注目なのが、1967年に地元の小学生が見つけたという「サゲノプテリス・ナリワエンシス」。
そう、発見された“ナリワ”の名前が、そのまま学名に入っているんです。なんだかちょっと誇らしいですよね。

アートを楽しんだあとは、ぜひこの化石展示も立ち寄ってみてください。
芸術が“人間の美意識”の記録なら、化石は“太古の命”の証。
ジャンルは違えど、どちらも「時を超えて何かを伝える存在」という点では、通じるものがあるかもしれません。



高梁市成羽美術館の基本情報

所在地:岡山県高梁市成羽町下原1068−3



美術館のついでに立ち寄りたい、周辺スポット

吹屋ふるさと村 ― “ジャパン・レッド”の町を歩く

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高梁市成羽美術館から少し足を延ばしたところにあるのが、吹屋(ふきや)ふるさと村
北西に位置するこのエリアは、江戸時代後期から大正にかけて、銅と弁柄(べんがら)の生産で栄えた歴史ある町です。

町を歩けば目に入るのは、赤銅色の瓦屋根と、弁柄漆喰で仕上げられた外壁の家々。まるで時代をさかのぼったかのような、静かで力強い景観が広がっています。

2020年にはその独特の歴史と文化が評価され、
「『ジャパン・レッド』発祥の地 ― 弁柄と銅の町・備中吹屋」として日本遺産にも認定されました。

美術館からは車で約30分ほどと、少し距離はありますが、「高梁まで来たなら、ここも行っときたい」そんな場所。
美術館でアートを堪能した後は、歴史ある街並みをのんびり散策してみるのもおすすめです。


アクセスや詳細は、こちらからどうぞ。
高梁市吹屋観光協会公式HP

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